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好きな言葉 Archive

好きな言葉 (その1)

それは君に才能がなかっただけのことだよ。そんなに大騒ぎするほどのことじゃない。

映画「ピンポン」から、僕の大好きな台詞。卓球に関しては天才的な才能を持っているんだけど、それほど練習熱心でもなく、卓球に対する情熱もさほどないスマイル(月本)。その正反対に人生のあらゆることを犠牲にし、人の何十倍も努力して卓球に打ち込んでいるアクマ(佐久間)。そのアクマがスマイルに卓球の勝負を持ちかけてあっさり負けてしまう。アクマはその理不尽な結果に「なんで人一倍努力した俺が負けるんだよ、不公平じゃないかよ」とスマイルに詰め寄ります。そのときスマイルは表情一つ変えず、つぶやくような口調でこの台詞を言うのです。

突き放すような冷たい言葉に聞こえるけど、でも一方でこの言葉の中にとてつもなく救いを感じてしまうのはどうしてだろうね。

努力は必ず報われる、一生懸命やれば必ず何とかなる、なんてスポコン漫画みたいな台詞で生徒の尻を叩き続ける商売をやってると、たまに自分の言葉が本当に空々しく思えてくることがあるのです。実際、努力がどんなに背伸びしたって才能にかなわないことなんて世の中にはいくらでもあるでしょ。特に数学なんてしてるとそれは身をもって思い知らされます。自分が1週間必死で考えて理解できなかった文章を、一目見て分かっちゃう人がいるわけですからね。その歴然な差に打ちのめされる。数学って本当に残酷な学問なんです。

努力はいつか報われるって言葉は結局世の中の片隅でずっとくすぶっている「報われない努力」をすべて否定してしまっているんだな。やってもやってもできるようにならないのは自分の努力が足りないんだって自分を追い詰めている人はきっとたくさんいるはず。受験生にだってもちろんね。そんな人にとって、報われない努力だってある、でもそんなことたいした問題じゃないさって言ってあげることがどれほど救いになることか。スマイルの言葉に暖かさを感じるのは「才能がなかっただけ」っていう言葉の裏でアクマの努力をちゃんと肯定してあげているからだと思いますね。

にしてもかっこいい言葉だな。一度でいいからこんなこと言ってみたい。

今日の一言
努力は才能のない人だけに許された最高の娯楽なんじゃないか

好きな言葉 (その2)

本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ

伊坂幸太郎「重力ピエロ」から。

簡単なことをわざわざ小難しい言葉で語る評論が巷に溢れてます。この間、公務員試験の勉強をしている人から"文章理解"の分野の問題を見せてもらいました。短い文章を読んでそれについて作者の考えに近いものを五択で選ぶような出題形式。さすがにこんな短い文章なら簡単だろうと思ってやってみたのですが、ビックリしました。何がいいたいのかさっぱり分からない。居酒屋でくだ巻いてるおっさんの言葉の方がよっぽど分かり易いんじゃないのかな。少なくとも何か伝えようとする姿勢は上な気がするね。もちろんその文章を書いた人は僕よりずっと能力があって、深く物事を洞察している人なんだと思う。だから僕の読解力がないといわれれば、はい、すいませんと言う他はないんだけど、僕だって文章の読み書きは人並み以上にしているし、それなりに物を考える力も持っているはず。そんな標準的な日本人に何も伝えられない文章に果たしてどれほどの意味があるのかって考えちゃうわけです。もちろんこれは文科系だけの問題ではなく、むしろ理科系の人にこそ当てはまることかもね。数学者や物理学者が語る言葉なんて一般の人にはスタートレックのクレンゴン人が話す言語のようにしか聞こえてないよ、絶対。文科系と理科系の人たちは同じ部屋の両端で学問をしてるにもかかわらず、中央にどんどんバリケードを張って互いの声を聞こえないようにし、一般大衆にいかに難しいことを言うかを競い合っているんだな。

「命の尊さ」や「環境問題」を偉い人が眉間にしわ寄せながら訴えたって、僕らにはちっとも届いてこない。本当に深刻なこと、本当は難しいことは、陽気に軽やかに伝えられるべきなんだ。全くその通り。そういう「言葉」を持つ人を僕は心から尊敬します。

「寺田寅彦」。僕の大好きな随筆家。この人は物理学者でもあるんだけど、アインシュタインの"奇跡の論文"が物理学のパラダイムを180度変えてしまう1905年以降の激動の時代をど真ん中で生きた人です。ちょうど物理学がどんどん一般人の手の届かないところに行きかけていたころなのね。このとき寺田寅彦はその物理学を難しい言葉なんて一切使わず、鋭い感性と機知に溢れた文章で一般人に向けて語ったんですよ。彼の随筆は今ではインターネットでも簡単に読めるので是非読んでみてください。100年近く前の文章だなんて到底思えないはず、本当に分かりやすくて面白い。彼の語る言葉は理科系と文科系の壁も、学者と大衆の溝も、世代さえも難なくふわって乗り越えてしまう。そんな軽やかさを持ってます。

「チャールズ・チャップリン」。言わずと知れた喜劇王チャップリン。冒頭の言葉がこれほどに当てはまる人はいないだろうな。人生の悲哀や戦争の愚かさといった重く深刻なテーマを、説教くささも湿っぽさも微塵も感じさせず、あくまで陽気に軽やかに笑いの中で演じあげる、それがストレートに胸に届くんだね。これができるのが天才の芸なんだって思います。無声映画にこだわり続けたチャップリンが初めて肉声で語った「独裁者」のラストシーン、現代を生きる僕たちにまっすぐと突きたてられたナイフだよ、これは。

僕が遠い目線の先に常に置いているのは実はこの2人なんだ。靴の底のゴムのところにも及んでないけどね。

今日の一言
難しいことを楽しく、つらいことは笑いながら話せる人でありたい

好きな言葉 (その3)

お前のおかげで いい人生だったと
俺が言うから 必ず言うから

さだまさし「関白宣言」から。

「関白宣言」の歌詞は泣きオチの教科書みたいなもんだね。1番, 2番で散々引っ張って最後の最後のこの言葉。この歌はすべてこの一言のためにあるんだって分かる。これだけみたらどこにでもありそうな台詞、せいぜい「ああ、ちょっといい言葉だね」くらいのものでしょ。でもこの"普通の言葉"がこの歌の中で歌われるとき圧倒的な輝きを放つのは、その上に積み重ねられた「物語」の重みなんだな。沢田知可子の「会いたい」では絶対泣きたくないけど、この言葉の前では素直に泣いてしまいそうになる。いや、ここで泣かない人がいるなら教えて欲しい。

自分の愛する人が突然交通事故で死んでしまったら、誰だって悲しい。空港で倒れた女の人を抱きかかえて「助けてください」って叫ばれたら、確かに心が動く。でもそれを「感動」って言いたくはないんだな。それでいいのなら「物語」っていったいなんなのさ。普段何の気もなしに使っている、当たり前で馬鹿みたいに陳腐な言葉。「ただいま」とか「またね」とか「ありがとう」とか。あるいはほんの一瞬の沈黙とか、髪をかきあげた仕草とか。それがある文脈の中に置かれたとき、人の心の根底を揺さぶるほどの力を持つことがあるの。それを成し得るのが「物語」の力であり、僕が感動したいのはそこなのよ、そこ。

この歌がオンエアされていた当時、この歌は女性蔑視だといって女性団体からの抗議がものすごくあったそうです。「俺より先に寝てはいけない」とか「浮気は覚悟しておけ」とかいう言葉の上っ面だけ捕らえたら、まあそうなるわね。今でもこの歌を前時代的な男の歌と勘違いしている人って多いのかも。ちゃんと読めば、この歌がどれほど女性への敬意に満ちているかが分かるはずなのにね。歌詞を味わうって単純なことがどんどん難しい世の中になってるのかも。たいていの歌番組は大切な歌詞をぶつ切りにしたハイライトだけを流す。セールスに結び付けるには歌詞の瞬間、瞬間に耳あたりのいいキャッチコピーを並べないとダメなんです。正論を声高に主張する政党のマニフェストみたいになんとなく薄っぺらい。

たった一つの言葉に命を吹き込むために、他の言葉が丁寧に「物語」を紡ぎあげる。そんな歌がちゃんと鑑賞され、評価される世の中であって欲しいな。

今日の一言
最近の高橋ジョージを見てると「ロード」ではもう絶対泣けない

好きな言葉 (その4)

おもしろきこともなき世をおもしろく

高杉晋作辞世の句と言われている言葉です。この言葉には「すみなすものは心なりけり」という下の句がつながるのですが、これには大変印象深い逸話があります。死の床にあった高杉晋作はその最期にこの上の句だけを読んで力尽きたのですが、それを看取った野村望東尼がそこに下の句をつなげ、この歌を完成させたというのです。すごく感動的な話だなって思います。はい、みなさんご一緒に。

そんな奴おらんやろ~(大木こだま風に)

上の句読んだとこでちょうど寿命を迎えるなんてそんな都合のいい展開は「月下の棋士」以外では起こりえません。仮に起こったとして望東尼も冷静に下の句読んでる場合じゃないでしょ、晋作死にかけてんだからさ。

と、まあ突っ込みはこのくらいにして、、

しびれる言葉だなって思います。この歌は上の句だけで十分じゃないかって気がしますね。下の句をどう続けるかで人それぞれいろいろな味わいが生まれるから。望東尼の付けた下の句では「この世の中を面白くするのも面白くしないのも結局心の持ち方次第なんだ」って解釈になるし、これはこれですごくいい。でも僕の中ではこの言葉はもっと粋でカッコいい感じ。そんなつまらない世の中を俺が面白くしたんだぜ、面白く生きて見せたんだぜって晋作がこの世の去り際に啖呵を切ってるように聞こえる。激動の幕末の時代の渦を自らが巻き起こすようにして生き抜いた高杉晋作という人間が凝縮されているようで、なぜか分からないけど胸が熱くなりますね。

おもしろきこともなき世をおもしろく

これは芸人にとって座右の銘なんじゃないかって思うのです。どっかから借りてきた面白いことを面白く演じるのは実は芸でもなんでもないわけ。人が見向きもしないこと、見過ごしていること、あるいは誰も触れないタブーの中にさえ面白さを発見しそれを料理してみせる、芸人の真価ってのはそこにあると思うのですね。道端の小石にさえ輝きを見つけ出せるような、そんなものでありたい、僕の芸も、僕の文章も、あっもちろん授業も。

今日の一言
おもしろきこともなき世こそおもしろい

好きな言葉 (その5)

また夢になるといけねえや

落語「芝浜」の有名なサゲ。

腕はいいのに酒に溺れて仕事をしなくなった魚屋。毎年暮れには借金取りが入れ替わり立ち代り訪れるほどの貧しい生活。ところがその魚屋がある日芝浜で50両の入った財布を拾う。それを家に持ち帰って妻に渡し、これからは贅沢ができるぞと大喜びで酒を飲んで寝てしまうのだが、眠りから覚めて妻にそのことを尋ねても妻は知らないという。夢だったと悟った男は心を入れ替え、酒をぴたりと断ってまじめに働きはじめる。もともと腕のよかった職人、瞬く間に評判が上がり、いつしか借金もなくなり蓄えを作るまでになる。そんな3年目の大晦日。妻が家の奥からあの日の50両の入った財布を持ってきて、あれは男がまじめに働くようになって欲しいという一心でついた嘘だったのだと告白する。そしてあの日以来男が二度と口にしなかった酒を持ってきて彼に勧めるのである。感極まった男がその酒を飲もうとするがはたと手を止める。やっぱりやめとこう。

その後に続くのがこの僕の大好きな決め台詞。これに畳み掛けるようにお囃子が聞こえてくる。数ある噺の中でも最高にかっこよく粋な終わり方じゃないかな。この一言に男のすべての思いが凝縮されてしまう。

僕が一番好きな「芝浜」は古今亭志ん朝さんが演じているもの。今では録音しか残っていないのだけど、今日久々に聞き返して見て、やっぱり途中で涙が止まらなくなってしまいました。上に書いたあらすじではこの噺のよさは1%も伝わりません。是非実際に聞いてみてください。ここに描かれる女性像を見たら、昔の日本は男尊女卑だったなんて絶対うそだと思うはずです。どんなに虚勢を張ったって、最終的に男は女には絶対勝てないんだな。今も昔も変わらずね。

ちなみに今日「芝浜」を聞きなおしていたのは、完全引退をすることになった落語家三遊亭圓楽さんの記事をたまたま目にしたから。圓楽さんが引退を決意した2月25日、高座で演じた「芝浜」が結局最後の演目になってしまったんですね。圓楽さんは笑点の司会としてのイメージが強いけど、この人の人情話は本当に素晴らしい。「芝浜」と並ぶ人情話の名作「鼠穴」「名工浜野矩随 」を高校生の時にテープで繰り返し聞いていましたが今でもそのストーリーの情景がありありと浮かぶほど記憶に残っています。

たった30分の中で人間を描き、人生を語ってしまう。しかも笑いの中でね。古典落語には芸のすべてが詰まっているような気がします。

今日の一言
小学生には英語より落語を

好きな言葉 (その6)

黙っていたほうがいいのだ
もし言葉が
一つの小石の沈黙を
忘れている位なら

谷川俊太郎 「もし言葉が」より

谷川俊太郎さんは僕が最もあこがれる「言葉」の使い手ですね。学生時代に買った谷川さんの詩集を時々読み返すたびいろんな思いがこみ上げてくる。その中でも特に印象深いのがこの一節です。

雄弁こそが世界を動かすと言わんばかりに一分の隙もなく言葉をまくし立てる人がいます。会議なんかではそういう人が場の空気を支配することが多い。僕が会議が嫌いなのは、その雰囲気にどうしても馴染めないからです。言葉がただその場の空気を震わせるだけに消費され、その残骸が薬莢のようにパラパラと会議室の床に散らばってるような気がしてしまう。

一方で舌足らずな、でも心に結晶した思いを搾り出すように発せられる言葉がじわりと胸に沁みることがある。

アイスクリームのおいしさの秘密は中に含ませている空気にあるそうです。空気を全く入れないでぎっしりと固めてしまうと、アイスクリームを口に入れたとき口の中でじわっと広がる感覚がなくなってしまう。するとどんなに素材が良くてもあの幸せな甘さは生まれないのだとか。「言葉」と「沈黙」もきっとそういう関係なんじゃないかな。無色無臭の沈黙が言葉の味を引き立てる。本当に大切なことを伝えるとき、人は言葉を並べる代わりに、言葉を散らすのですよ。ぽつり、ぽつりと。言葉が心の中でゆっくりと溶けて広がっていくように。

適切なタイミングで発せられ、適切な余韻の中に置かれたたった一言が人を笑わせたり感動させたりする、それは本当に素敵な言葉の力だなって思う。僕はそんな言葉が大好きです。谷川さんの詩がそういう力を持っているのは、逆説的だけど、谷川さんが言葉自体の無力さを、沈黙を忘れた言葉の傲慢さを、誰より知っているからだと思うのです。

今日の一言
心は言葉に宿るのではなく、言葉と言葉の間に宿る

好きな言葉 (その7)

KISS = Keep it simple , stupid.

模試やテキストの作成に携わると、他人が作った数学の問題を目にすることが多くなります。それを観察していると面白い事実に気付かされます。数学の問題の難易をいつも的確に判断できているはずの先生が、いざ自分で問題を作るとなったときに必ずしも的確な難易の問題を作るわけではないのです。客観的に見ればどう考えてもひねりすぎていたり、難しすぎたりする。でも不思議なことに作った本人だけはそうとは感じていないのね。

これは決して誰かを非難しているわけではなく、こういう傾向が程度の差はあれ、誰にでもあるということを言いたいのです。かくいう僕自身も何度となく経験したことなので、そうなってしまう理由はよく分かります。問題を作るという作業に没頭する間にいろいろなことが自分の中で知らず知らず消化され、本当は難しいことが難しいと感じられなくなる、ある種の感覚の麻痺が起こります。そしてそこを出発点にしてまた問題を深めようとしてしまう。それを繰り返すうちに自分が思っているよりもずっと深いところに進んでしまい、本人はそのことを自覚できなくなってしまうのね。じわじわ熱くなっていくお湯に浸かっていると、相当な熱さになってもそれに気がつけなくなるのによく似ています。

全く同じことが実はパフォーマンスを作っていく過程でも起こりえます。あんなこともできる、こんなこともできる、もっと面白くしよう、もっと面白くしよう。そうやって膨らませていったとき、最終的にできたものが全く人に受け入れられないものになってしまっているという悲しい現実。これはひょっとしたら物を作る人が陥る共通の落とし穴なのかも。

自分のやっていることを客観的に見るのは非常に難しい。だから僕は自分の満足のいくものができたと思ったときこそ、この言葉を自分に向けて問います。

KISS = Keep it simple , stupid.

日本語にすると「物事は単純で愚かな状態にしておけ」、あるいは「もっと簡単にしなさい、この馬鹿ちんが!」(金八風に)といったところでしょうか。

本当にその設定は必要か。本当にその動きは必要か。無駄がないか、同じことが繰り返されていないか。一旦出来上がったものを今度はひたすら削ぎ落としていく。面白いものを作ろうとすることとシンプルにすることは自分の立場からみたら一見相反することで、辛い選択を迫られることもあるのですが、それでも泣く泣く切る。そうして削いで削いでそれでも削ぎきれずに残るものが自分の表現したい本質であり、それは確かにいいものなんだよね。この作業こそ実は最も作り手のセンスが問われる部分なのかもしれない。よい問題もしかり、よいパフォーマンスもしかり。本当に素晴らしいものは驚くほど単純な形をしている。

きっと世の中には2種類の人間がいます。物事を単純にする人と、物事を複雑にする人。願わくば僕は前者でありたい。

今日の一言
創作とは足し算ではなく引き算である

好きな言葉 (その8)

彼は数学をやるには想像力がなさすぎたんだ

20世紀の天才数学者ヒルベルトの言葉です。最近姿を見せなくなった学生を気にしたヒルベルトは彼の友達をつかまえて彼は今どうしているのかと尋ねます。

「彼なら学校をやめましたよ。自分は数学に向いていない、芸術家になるんだと言ってました。」

これに対してヒルベルトはこの言葉を返したと言います。

「そうか、彼には芸術家の方が向いているだろう。彼は数学をやるには想像力がなさすぎたんだ

胸のすく言葉だな。一般的に考えればこの言葉はまるっきり逆のような気がしますよね。数学者なんて小さな部屋に閉じこもって小難しい理屈ばかりこねる頭の固い人たちばかり。かたや芸術家といえばチョモランマより高くマリアナ海峡より深い想像力を持った人たちなんじゃないの、と。そんな固定観念を軽々とうっちゃって見せたヒルベルトの言葉に痛快さを禁じえません。

数学は答えが決まっていて、自由じゃないから嫌だなんて人がよくいますが、とんでもない。突飛なことを考えたり、世界を捻じ曲げたり、抽象化したりするのは芸術家も数学者も全く同じです。ただあえてそこに違いを見出すのであれば、数学は何を想像しても自由ですがそこに万人が納得できる理を作りだす義務が数学者自身にあります。理のない想像はファンタジーであっても数学ではない。それに対して芸術家は自分の想像した世界に対して最後まで責任を取る必要はないでしょ。つまり半分のことは鑑賞する側の想像力にゆだねてしまうことができるのです。これは芸術の深さでもあり、ある意味ずるさでもある。ヘリコプターから絵の具の入った瓶を地面に投げつけてこれが芸術だと言われても、そんなのやったもん勝ちじゃねえかって気はちょっとするのね。「爆発」なのか「暴発」なのか、その区別は極めて難しい。だから芸術家もどきの芸術家は数学者もどきの数学者よりたぶん圧倒的に多いはずです。それに対する皮肉もヒルベルトの言葉からは感じとれますね。

水が下から上に流れ、やかんを火にくべればたちまち凍りだし、西から上ったお日さまは東に沈む。そんな天才バカボン的世界を芸術家が想像するなら、そのありえない世界でおいしいオムレツを作るレシピを考えるのが数学者なのです。黙々と数式に向かい合うさえない男の中に奇抜なファッションで街を闊歩する芸術家もどきが束になったって敵うはずがない想像力が宿っている。自分が数学に関わっていることを誇らしく思わせてくれる大切な言葉です。

今日の一言
本物の数学は芸術的であり、本物の芸術は数学的である

好きな言葉 (その9)

涙など見せない強気なあなたを

竹内まりや、「元気を出して」の歌いだし。

この曲のこの歌いだし、大好きなんです。イントロの印象的な曲は数ありますが、歌いだしがこれほどまでに響く曲ってそんなにないんじゃないかな。初めてこの歌を聞いたのは何かのCMだったと思うのですが、そのことをまだ鮮明に覚えているほど、このワンフレーズに完全にやられてしまいました。

まず歌詞そのものが見事です。失恋した女性をその友人が慰めるという内容の歌なんだけど、そんな説明を聞かなくてもすべての景がぱっと浮かぶでしょ。その女性の気丈な性格、その彼女がいかに落ち込んでいるか、そしてそれを慰める友人が、男か女かで少し見え方は変わりますが、どれほど彼女のことを大事に思っているのか。そんなことをたった一行で表現できるのですよ。

そして絶妙なのはその歌詞が乗っていくメロディー、そのマッチ感が本当に素晴らしい。歩きながらとか自転車に乗りながらとか、つい割りと本気で歌を歌ってしまう僕ですが、ついついくり返し歌いたくなるフレーズというのはありますよね。そのとき何故このフレーズは心地よいのかってどんどん突き詰めていくと、あっ、この音なんだって気づくことがあります。理屈は分からないけど、とにかくフレーズのこの音が僕の心に共鳴しているよ、って感じ。僕の分析によるとこの歌の場合カギを握るのは

「な」

なのです。この歌を何度も歌って気がついたことなのですが、歌詞の中でこの「な」がとても印象的に繰り返し繰り返し登場します。もう一度冒頭のフレーズを読んでみてください。

涙など見せない強気なあなたを

このわずか一節の中に「な」が実に5回登場していることに気づくでしょ。この「な」の一つ一つがそれぞれの色を持っていて実際に歌ってみると本当に気持ちいい。そのうち僕が特にしびれるのは2度目の「な」、なみだの直後「など」の「な」の音運びですね。この憂い、やるせなさ。何度聞いても、何度口ずさんでも本当に涙が出そうになる。仮に僕がとてつもない天啓を受けてこの歌詞を思いつき、「なみだ」の部分に同じ音をはめることが出来たとしても、この次の「な」にこの音をはめることは絶対無理だろうな。もう奇跡的な「な」ですよ。

もしカラオケでこの歌を歌うならこの最初のフレーズをキー合わせとかに使っちゃだめ。最初が最大の魅せ場ですから。持てる力の120%を出し切るつもりでいきましょう。この曲をカバーするプロのアーティストにとってもこの出だしはプレッシャーだと思うよ。絶対。

それにしても僕が何千語尽くしても届かないところにあっという間に到達してしまう。歌の持つ圧倒的な力に軽い嫉妬すら感じます。

今日の一言
「言葉は心を超えない」って歌うその歌は余裕で心を超えちゃっている

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