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紙の本の価値

  • 2010-11-22 (月)

数年前、電子辞書を初めて使ってみたときに感じたのは、辞書やリファレンスの類については電子化書籍は紙の本に対してその利点を完全に包含する形で優位に立っているということでした。検索が早く簡易であるという点、持ち運びの利便性、データメンテナンスの容易さ、などあらゆる面で紙の本を上回っている。計算機の世界に電卓が登場したとたん、そろばんや計算尺がその役割を終えたように、近い将来紙の辞書は、消滅はしないまでも、完全に過去の遺物となってしまうなと強く感じました。(過去の記事-> 電子辞書)

いまこの流れが一般の書籍に及んだとき、電子書籍が紙の本に完全にとって代わるものになるかと問われると、僕は電子辞書に感じたほどの圧倒的な優位性は感じないのですね。むしろ僕を含め多くの人はそれにより何か大切なものが失われるのではないかという漠然とした戸惑いを持っているように思えます。その理由を考えてみると、それは本によって得るものが「情報」であるのか「体験」であるのかの違いなのかもしれません。ひとつの小説を読むという行為は単に情報を頭に入れるという作業ではなく、言うならば書店の本棚でその背表紙に魅かれて本を引っ張り出すことに始まり、本の重みを膝に感じ、残り少なくなっていくページを意識しながら紙をめくっていくという行為すべてを含めたもので、それらは僕らにとって読書に欠かせない要素となっています。それが失われることに対する拒絶感はとても強くて、電子書籍に対する違和感の多くはそこから発しているような気がします。

しかしこのことが紙の本の恒久的な価値を保証するものかというとそれはまた違う気もします。電子書籍を読むということもまたひとつの「体験」である以上、紙の本を読むことを知らない人にとっては、電子書籍をネットショップで選び、自分の端末で読むことが、僕たちが馴染んでいる読書体験に置き換わるだけのことですからね。電子化が一足先に進んだ音楽業界を引き合いにだせば、僕の一世代上の人たちの「ジャケットに魅かれて買った1枚のレコードをどきどきしながら家に持ち帰り、一杯のコーヒーと歌詞カードを片手にそのレコードを聴く」という音楽体験は、今の若者には「You Tubeでたまたま目にしたアーティストに魅かれて、ネットで歌詞を調べ、ベスト盤をネットショップでダウンロードする」というものに置き換わっているのかもしれませんが、その間の世代にいる僕にとっては音楽に対する向き合い方としてどちらがより高尚かなんて判断できません。

では、電子化で置き換えることができない紙の本の価値はなんだろう。そういうのを突き詰めていくと、もっと物理的である意味幼稚な本の「モノ」として意味に行きつくような気がしています。例えばドラゴンボールの背表紙を1巻から順に並べていくと背表紙全体が大きな絵巻物になるでしょ。ああいう楽しさって電子化では絶対に再現できないものです。他には例えば本の端にパラパラ漫画になるようにイラストを描くような仕掛け。これも紙を綴じた本でしか体験できない価値になっている。

内容的なところで探すと「自分が読んでいる本を本の中の登場人物が読んでいる」という入れ子構造の物語。これは電子書籍になると全く意味が変わってしまいますね。ネタばれになってしまうので詳しくは書きませんが、泡坂妻夫氏が「しあわせの書」というミステリーの中で仕掛けたトリックもまさに紙の書籍という枠組みの中でしか実現しえないものとなっています。

僕自身本の執筆に携わりながら、この時代だからこそ紙の書籍を出す意味と言うのを追求してみたいなと思っています。紙だからこそ価値のある数学書。そういうのが作れたら素敵です。

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