Home > 劣化しない記憶

« フィギュアのことなど | メイン | 褒め言葉 »

劣化しない記憶

  • 2010-04-03 (土)

ドラマやゲームの回想シーンで画面がセピア色になったり、時折ザザッとノイズが混じったりするお約束の演出。これが表現として成立する理由を考えてみると、これは間違いなく写真やビデオといった記録メディアからの連想なんですよね。ここで擬似的に再現されているのは写真が日に焼けて色を失っていく様子、映画のフィルムが痛んでノイズが混じるようになった様子で, それは昔のアルバムや過去の映画を見て誰もが感じたことのある不安定な記憶やノスタルジックな感傷といったものを喚起する。記録というものが宿命的に持つ「劣化」という不可逆な印は、やはり時間とともに薄れゆく記憶に対するちょうどいいアナロジーとなっているわけです。

映像メディアの誕生から程なくしてこのような「映像の劣化」という映像表現も生まれたのだと推測しますが、面白いのはその映像の劣化を表現している映像もやはり劣化からは逃れられないという事実。回想シーンのある昔の映画を見るとそんな「劣化の劣化」という不思議な現象に出会うことがありますね。

ところが、最新のテレビゲームでこのような演出の回想シーンに出会ったとときにふと思いました。いま僕が見ているのは基本的に劣化と無縁のデジタル映像です。であればこの「回想シーン」は30年後にも全く同じクオリティーで再現されることになる。「劣化の劣化」は決して起こらないのです。それでいいじゃないかと思うかもしれませんが、これって何か変ですよね。映像が劣化することがこの表現の拠り所なのだとすれば、劣化しない劣化映像はその表現の正当性を自分自身で否定してしまっていることになります。

つまりここで気がつくのは、30年後の社会において、「映像の劣化」はもはや「過去」の表現とはなりえないということです。デジタル社会において「劣化」が意味するのは「故障」や「不具合」であっても、時間の経過ではないわけですから。

ここ数年のデジタル技術の進展により、劣化することのない「今」が膨大なハードディスクの中に記録されていっています。今の子供たちが30年後に回顧することになる"セピア色ではない"過去、それを思うととても不思議な気持になってしまいます。

Comments:0

Comment Form

コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。

Remember personal info

Home > 劣化しない記憶

Search
Feeds

Page Top