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変化に対する慣性質量

  • 2009-11-30 (月)

例えば金属のやかんが置かれています。そこにある人が近寄ってきて、指で表面に触り、次の瞬間あわてて手を引っ込め、顔をしかめてその手を振ったとします。それを見ている僕らはそのやかんがとてつもなく熱いものであると認識します。

これって考えてみると面白いことですね。触ってもいない物体の温度を、人は外界の情報と自分の経験とを照合することで感じとることができます。そしておそらくマイムと言う芸はこの人間の機能を活用することで成立しています。

もう少し考えて見ます。

ここに2人の人間がいます。1人はやかんを触ってすぐに手を引っ込め、熱がる仕草をする。それを見たもう一方が恐る恐るやかんに触るのだけど、今度はなんともない表情。手の平で触っても平気。怪訝な表情で最初の人が再びやかんに触ると、やっぱり熱くて手を引っ込める。こういうやり取りを繰り返したらどう見えるか。ここではおそらく「熱さに対してすごく敏感な人」と、「すごく鈍感な人」という解釈が成立するのではないかと思います。

では同じことを同一人物がやったらどうなるでしょうか。同じ人が数秒おきに同じやかんを持って熱がったり、平気な顔をしたりしている。この場合は「瞬間的に温度が変化する不思議なやかん」の解釈となるのではないかな。

どちらも実際には起こりえなさそうなことです。でもそんなときも人は今までの経験上おそらく最も合理的と思われる何らかの解釈を無理に当てはめようとします。面白いのは前者では全く変化していなかったやかんの熱さが後者では変化している点。これはおそらく僕らの中で「変わりやすいもの」と「変わりにくいもの」といった「変化に対する慣性質量」が順位付けされていて、やかんの熱の慣性質量は異なる人間の熱さの認識の慣性質量より高く、同一人物の熱さの認識の慣性質量より低いといったことなのではないかと思うのです。

研究していくと面白そうなテーマです。

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