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だまし絵展を見にいった

  • 2009-10-21 (水)

スケジュール上、授業と授業の間が6時間ぐらい空く曜日があります。空き時間は拘束時間ではないので、スタバでパソコンをいじったり、ジムに行ってトレーニングしたりと気ままに過ごしています。ところが今日は柄にもなく兵庫県立美術館に行ってきました。

常々「本当に大切なものは目には見えない、あるいは東急ハンズにある」を標榜としている僕が、どちらかというと苦手としている美術館に足を向けることになったのは、ずばり今回の展示のテーマにあります。

わが目を疑え。「だまし絵」展。

もう僕好みのストレートだわ。行くっきゃない。

行く前に僕が思っていた「だまし絵」は「ルビンの壺」に代表されるような見方によっていろいろな見え方をする多義図形や、エッシャーの「上昇と下降」に代表されるような実現できないものを絵に表現する不可能図形ですが、この展示はどちらかと言うと絵画を実物と錯覚させるタイプのだましに軸がおかれていました。例えば、風景画の一部が布で覆われて隠れているとするでしょ。その布を手を伸ばして取ろうとしてみたら、実はその布自体も絵だった、という感じのやつですね。このだましが成り立つためには布がリアルに描かれることはもちろんなのですが、風景画はそれに比べてやや粗いタッチで描かれるのがポイントとなります。その対比がより布を現実のものと錯覚させてしまう。このような心理的な駆けひきを観察するのはとても面白い。

展示品のひとつにこんな説明が書かれていました。ある画家が友人に「本物と見間違うものを描かなければ絵画ではない」と言われたそうです。それを自分への侮辱だと受け取った画家はその友人に挑戦状の入った封筒を額に入れて送ります。友人がその封筒を手に取ろうとすると、取れない。なんとその封筒は紙の上に本物そっくりに描かれた精巧な絵だったのです。いいなぁ。こういう話は大好きです。

間違いなく言えるのは、このような絵を描いている画家の頭の中には、これを見る人の顔がはっきりと浮かんでいて、その人をどう驚かせてやろう、どう笑わせてやろうと脳内アドレナリンをほとばしらせながら筆を進めてたんだろうってこと。もうね、そういうときの胸のバクバク感って分かりすぎるほど分かる。芸術の原点って結局そういうことって気がするんですよね。自己表現だなんて高いところから来る芸術はちっともピンとこないけど、根底にエンタテイメントがある芸術にはびんびん共鳴を感じます。

ただ、1つ思ったのは、みんなこの展示の趣旨が「だまし絵」であることは分かった上で来ているわけですね。すると頭はどちらかというと、絵そのものの中に何かおかしなところがあるんじゃないか、という方向に向くわけ。見ている人の会話を聞いていてよくあったのは、

「え、これって何かおかしなところあるの」
「うーん、何もないよね。」
「(説明文を読んで) 要するにリアルに見えるってことらしいよ。」
「なーんだ、それだけのこと」

うーん。それはそうなるよな。

「絵であること」そのものが「だまし」の核心なんだから。「だまし絵」と言ってしまった時点でネタバレという自己矛盾。

どうせなら普通の絵画展という体にして、展示の仕方を工夫する。トイレのドアを開けようとしたらノブが絵だったとか、休憩所のイスに座ろうとしたら実は壁に書かれた絵だったとか。それで初めてこの展示の趣旨を心から味わえるのではないかと思います。

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