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偽善について思う

  • 2009-08-31 (月)

何気なくつけたテレビが24時間テレビ「愛は地球を救う」で、しかもそれがかなり終盤のほうだったりすると、あんまり知らない人の結婚式に間違って紛れ込んでしまったみたいな気分になりますよね。いろんなところで拍手が起きたり、感動の演出があったりするたびに、全くついていけてないんだけど無理やり気持ちを乗っけていくやつ。正直あの雰囲気はとても居心地が悪いので今はほとんどチャンネルを合わせませんが、実家にいたときは母親や祖母が好きで見てましたね。

で、毎年思うことですがこの番組が放映されるたびに、一方でこの番組に対するネガティブキャンペーンって必ず起こりますよね。皆が1つの方を向いて進みだしたときに、それを牽制するような意見が強くなるのは、システム的に見ればある意味健全なバランス作用なのだと思います。ただ目の前で聞えよがしに「あんな番組は偽善だよ」なんて言っている人を見ると、なんかちょっとげんなりするものがあります。

不思議なのは喧嘩したり、万引きしたり、いろんな悪いことをしていた不良グループの一員か、実は根はやさしい子なんですなんてことになると世間的に許されたりするでしょ。こういうのは本当はいい人が悪い人ぶっているわけだから、言うなら「偽悪」ですよ。世の中は「偽悪」にはとても寛大で、「偽善」にはとても厳しい。でも「偽悪」と「偽善」なら実質いいことしてるのは「偽善」のほうだからね。

ちょっとズルイのはさ、悪いことを悪いということよりも、「偽善」を指摘する方がずっと簡単でカッコいいわけ。オリンピックは商業主義に塗れた金もうけイベントだとか、クリスマスなんて企業に踊らされてるだけだとか、そう言っていたほうが世の中を斜から見据えているみたいになれるからね。でももうさすがに何十年も言われ続ければ、むしろその考え方の方が正論になってることに気がついて欲しいね。この手の意見を聞くたびに、おまえはまだそこにいるのかって思う。もう分かってるよ、みんなそのことは。出演者も募金する人も、テレビ見て感動している人も、そんなことは百も承知の上でやってますよと。

「毎年募金してます」とカメラの前ではしゃいでいるおばちゃんのほうがもうとっくに一段階上に行っている。そんな気はします。

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