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予備校のコマーシャル

  • 2009-08-20 (木)

夏休み前辺りに結構頻繁に流れてた東進の夏期講習のテレビコマーシャルってご存知ですかね。実際の授業で講師が熱く語る映像を切り出して、最後に「本気で勉強したい人だけ、来てください」なんていう文字がバンと出る。

これねえ、一応同業者だし、知っている人も出てたりするからすごく書きにくいことではあるのですが、僕ね、あれ見るたびになんか「うわー」って思っちゃうのですよ。なんかお腹の中がむずむずとなってまともに見ていられない感じ。

特定の講師や予備校を批判していると取られると本意ではなく、あくまで一般論として僕の個人的感想を書くのですが、予備校講師の持っているアクの強さって、芸人の持っているそれとは少し違う気がするのです。例えばエンタの神様の芸人を見てる場合なら、「つまらない」と思ったとしても「うわー」って感じにはならないから。

それはね、芸人の場合、実際に一般の客の前で演じて反応を見たり、他の芸人の意見をもらったり、さらには自分の面白いと思う芸を鑑賞したり、そういう自分を映す鏡がいたるところにあるから、どんな芸もいったん芸人の中から取りだされ、外から眺められる過程は経てきているはずなんだという安心感はあるのです。仮にすごく「つまらない」と感じる芸を見てもね、でもその芸人がこういうところを「おもしろい」と思っているんだろうなという部分は理解はできるわけ。その芸人も、僕がその芸を「つまらない」と思う理由をすべて織り込み済みで、「おもしろい」の判断をしたのならそこはもう感覚の違いでしょ。

でもねえ、予備校講師というのはそういう相対化のプロセスを持っていないんですよ。予備校講師のもつキャラクターというのは予備校という閉ざせれた世界の、教室という閉ざされた空間で培養されていく性格のものでしょ。もちろんそれが悪いわけではないですよ。それが生徒の人気を得て、もっと言うなら生徒の理解度や合格率を高めるものなんだったら何の問題もないわけ。でもそれはあくまでその特殊な世界の中で通用する魔法であって、テレビの電波に乗っけてお茶の間に出しちゃったとたんものすごい違和感を発するものだということは自覚したほうがいいんじゃないかなと思う。例えるなら舞台上で多くの人の心を鷲づかみにする宝塚のトップ女優が、あの抑揚のある口調で話しながら普通の道を歩いてたら、絶対ひくでしょ。万人の聴衆の涙を誘う秋川雅史の声だって、カラオケで歌われたら、正直ちょっとうざいと思うでしょ。それと同じ。

その点では家庭教師のトライのCMで、まじめに正論を説く講師の顔に子供が落書きをしていくやつは僕は好きだったな。ああいう相対化がきちんとできる学校はなんか信頼できるな気がするんだよね。

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