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楽しさと困難のバランス

  • 2009-07-21 (火)

Wiiで発売される最新作のマリオブラザーズにいままでのゲームの常識を覆す機能が加えられるそうです。ゲーム初心者のためにクリアするのが難しい場面を飛ばして次に進めてくれるという、その名も「スキップ機能」。画期的ですね。バリアフリーもここまで浸透して来たかという感慨を覚えます。

難しいところで先に進めなくなりゲームをあきらめてしまうようなライトユーザーが多いWiiならではの措置だと思いますが、これに対して否定的なユーザーも多く、困難を乗り越えていくことこそがゲームの醍醐味であり、その困難を取り除いてしまうことはゲームの興を削いでしまうだけではないのかという意見は当然でてきますね。

まあ僕も最初はなんじゃそりゃと思ったのですが、ただこの議論がちょっと興味深いと思い始めたのは、賛否の意見を自分の中で注意深く秤にかけていったその先に、自分とゲームとの関わり方みたいな命題に突き当たるからなんです。ゲームの目的が「困難を乗り越える達成感」を得ることなんだというのを認めたとして、問題はその「困難」って誰が設定しているのかなんですね。今回の「スキップ機能」は絶対反対だってと言う人も、じゃあその部分だけ親戚のゲームのうまいお兄ちゃんに代わりにやってもらってクリアするんだったら別に構わないと思うかもしれないでしょ。別の例を出せば、ドラクエみたいなRPGでやることが分からなくて行き詰ったとき、それを誰かから教えてもらうのはありなんでしょうか。教えてもらうにしてもインターネットで情報を調べるのはダメだけど、お金を出して攻略本を買うのならいいやって思う人もいれば、それはどちらも邪道だ、でも友達に直接聞くのは許せるかなっと思う人もいたりするわけでしょ。そう考えていくと「困難」ってどこかで必ず個人的な線引きがあるわけ。

娯楽がスポーツと少し違うのはフェアーさの基準が絶対的なものではないところね。聞いた話ですが、最近釣りの世界も技術革新がすごいらしくて、超高機能のリールは完全にコンピューター制御になっていて、ルアーを生きているように動かす「しゃくり」とか、かかった魚をばらさないように引き上げる緩急のつけ方とか、そういうことをすべて自動でやってくれるんだって。ただ、そこまでいっちゃうとね、その釣りは本当に楽しいのかって素人の僕でも感じるわけ。こんなの釣りが好きな人にとっちゃ、まさしくスキップ機能でしょ。でもさ、そんなのは釣りじゃないって全否定する人だって、漁船に乗って魚群探知機で釣り場を探すのはよしとしてたりさ、もっと根本的なところに行けば釣竿を使うこと自体はよしとしたりしているわけですよね。なんかそう思っていくとね、素もぐりして生きた魚を素手で捕まえることとスーパーで切り身になった魚をお金払って買うことを両極端として、そのどこかにここからここまでが釣りっていう線が引かれるわけで、それを引いているのはやはり個人個人なんじゃないのかと。

詰まるところ、どのような機能がつこうがつくまいが、自分がそれを使わないという選択をすればいいだけのことなんです。もっと言えばね、仮にゲームとして認められている機能であっても、それを使わないと自分で決めてゲームを楽しむことだってできるんですよ。1つのゲームに入れ込む余り、グラディウスで一切パワーアップせずにどこまでいけるかを試したり、ドラクエのラスボスを素手で倒したりすることに相当な時間を費やしている人っていましたよ。ゲームとそういう付き合い方ができる人にとっては初心者が何をしようが関係ないと思うのね。

そういえば去年「PLAY」という公演をしたときに同じことを考えました。「PLAY=遊ぶ」ってことの本質は自由気ままに何かをすることではなく、自分で自分に何らかの制約を課すことにあるのではないか、そんな気がします。

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