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孤独について思う

  • 2008-12-30 (火)

いつごろの記憶なのかはっきりしないのですが、状況から考えて3歳か4歳くらいのころかな、僕にとって非常に鮮明な、でもあまり思い出したくない思い出が1つあります。

小さな家の庭にアマガエルがたくさんいました。ちょうど小さな生き物に興味を持つ年頃だった僕はそれを捕まえては手のひらに乗せたり、お尻をつついてジャンプさせたりして遊んでいたものです。あれは保育園への送り迎え、だったと思うのですが、母親の車の中にまでそのアマガエルを持ち込んだことがありました。もちろん内緒で。しばらくはそのカエルと車の中で戯れていたと思うのですが、子供ってすぐに別のものに興味が移ってしまうものでしょ。僕は途中からそのカエルのことをすっかり忘れてしまっていたのです。

それから数ヵ月後にそのカエルは発見されました。車のマットの下でぺっちゃんこにつぶれ干からびた姿で。

それを見つけたときの感情は未だ生々しく蘇ります。カエルを自分のせいで死なせてしまったことに対する罪の意識、といったものより、そのことに全く気づかずに今の今まで何食わぬ顔で生活してきた自分に対してゾッとする気持ちが強かった。そういえばあの日も、あの時も、足元にカエルがいることなんて全く気づかずに僕はこの場所で無邪気に笑いながら過ごしてきたんだ、その時間に対するとてつもない後ろ暗さね。僕が未だにカエルが苦手なのはおそらくこの事件がきっかけなんだと思います。どれだけぬぐっても取れない机のシミみたいに僕の心から離れない出来事です。

飯島愛さんの死以降クロースアップされた「孤独死」という言葉。この言葉を聞くたびにその「孤独」についてふと考えてしまうのです。誰にも見取られることなく死ななければいけない状況、その間際には確かに「孤独」があったのでしょう。でも人が死んだ後に心も消えてなくなるのだとすれば、その「孤独」と思う感情すら死と共になくなっているはずでしょ。そのあとのほとんどの間、亡骸と共にあったのは「孤独」ではなく、ただの空っぽの時間なんです。でも、逆説的ですが、その時間を想像する時にこそ僕らの心にやりきれないほどの孤独が湧き上がってくる気がする。それはどうしてなんだろう。その空っぽの時間を満たしていたのが自分の当たり前の生活、何変わらぬ日常であったことに気がつくからなんじゃないだろうか。

このような出来事を聞くたびに、僕の脳裏に重なるのはあのつぶれたカエルの姿です。

今日の一言
孤独は死ではなく生の中にある

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