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斜めから見えてくるもの

  • 2008-12-16 (火)

僕のブログをよく読んでいる人はもうお分かりだと思いますが、僕は大概の物事を一歩ひいた斜めからの視点で見る癖があります。客観的というのとはすこし違うかな。映画館に例えるのならスクリーンの真ん前に座るのではなく、一番隅の通路にパイプイスを出して座っている感じ。そうすると映画の内容だけでなくスクリーンに反射した光に照らし出されて青っぽく揺れている客の表情が見えるでしょ。それを同時に観察している、そういうポジションが好きなのです。

例えば、あくまで例えばですが、いじめ自殺のニュースがあったとします。その報道中に自殺した子の顔写真が出てくると、時々「あ、こいつがいじめられるのはなんとなく分かる」みたいに感じることってあるでしょ。もちろん口には絶対出せないんだけど、でも誰もが一瞬思ってしまうようなこと。こういうときのキャスターやコメンテーターの言動をつい観察してしまいます。真剣な表情でいじめを糾弾しているその直前に、本当は僕と同じことが頭によぎったんじゃなかろうか、下手したらそのことがのど元まで出かかっているのを必死でこらえているんじゃないか、そんな風に見てしまう。

例えば国との裁判に負けた原告が怒りの会見をしているとします。涙で言葉に詰まったり、声を震わせて怒ったりする表情を見ながら、一方で僕がどうしても考えてしまうのは、この人が今日持ってきたカバンの中には「勝訴」って書かれた例の巻物が絶対入っているんだろうなあってこと。誰がいつ始めたのか分からないあの風習。別に従わなければいけないという決まりは無いはずなのだけど、でも誰もがそういう状況になったらあの巻物をどこかで買い、あの字も誰かに書いてもらうはずなんだ。そういうもろもろの行動が裁判に負けたとたん我に返り滑稽なものだ気づく。ひょっとするとこの人は負けたという事実よりなにより、その滑稽な自分自身に対して怒っているのではないか。そんな風にも見えてくる。

こういう勝手な想像って当事者にとってはずいぶん失礼なことだし、安全圏からちゃちゃを入れているだけの無責任な態度にもなります。でもね、こういう角度からうまく、細心の注意を払って切り出された断面には実は何より色濃い人間の姿が映し出される、そんな気がしています。笑顔の裏にびっくりするほど残酷なものを隠し持っているのもそう、極限的な状況にあって一方でひどく俗でベタなことを考えているのもそう、すべて愛すべき人間じゃないかってね。そして、これも実に残酷なところだとは思うのだけど、こういう切り口を見せられたときそれがどんな悲惨な状況から切り出されたものであっても、きっと人は笑うんだと思う。

ここを芸に昇華してしてしまう才能ってすごい。チャップリンの映画であったり、イッセー尾形の1人芝居であったり、日本の伝統芸能である落語にもそういうところがすごくあるんだけど、笑われているのは意外と弱い立場の人間なの。笑いは強いものに向かうべきで、弱者を笑うのは下品だなんていう人がいるけど、本当にそうなのかな。強い立場のものを叩いたり、揚げ足を取ったりってよく考えたらワイドショーが毎日やっていることでしょ。弱者を笑うことにこそ本当の笑いのセンス、人間観察の力が問われるような気がする。僕が目指したいのはそこです。

今日の一言
幸せからは涙を、不幸からは笑いを取り出す

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