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ノーベル賞

先日、久しぶりに京都大学に行ったとき、キャンパスがやけに活気付いていると思っていたら、ノーベル賞を受賞した益川さんが来ていたようです。理科系の人間にスポットが当たる機会というのはなかなかないことなので、一時的な現象であるとは言えこのフィーバーは喜ばしいことです。しかもどの受賞者もキャラクターとして立ってるしね。クラゲをこよなく愛したとか言われている下村さんはおそらくクラゲからは相当恨みを持たれているだろうなあとか、場の非対称性より小林さんの髪型の非対称性の方がよほど気になるなあとか、テレビを見ながらいろいろ突っ込んでいます。

数学や物理学の成果はなかなか一般の人に説明することが難しいものです。「いやあ、難しい話で全く理解できません。」と苦笑いしながらいうキャスターにある科学者がこんなことを言っていました。

「理解できないのは当たり前です。でもその理解できないという気持ちを持ち続けることが大切なんです。」

なかなか核心をついた言葉だなと思いました。

携帯電話の機能を自由自在に使いこなせる達人も、携帯電話の裏蓋をパカッと開けて中身を見たとたん、そこには気の遠くなるような「分からない」が満ち溢れているわけです。でも普通の人はそこでそっと蓋を元に戻して見なかったことにしちゃう。そのほうがよっぽど平穏無事に生活することができます。ところがそれができないのが科学者という人種なのですね。

携帯電話の中にある小さな部品、たとえばコンデンサーやメモリー、CPUやらの役割を一通り網羅したとしても、さらにコンデンサーの蓋を開ければそこにまた新たな分からないが待ち構えています。コンデンサーの中に電子が、電子の中に素粒子が。蓋を開ければ開けるほど「分からない」「分からない」が次から次に飛び出してくる。その「分からない」の最前線で仕事をしているのがノーベル賞を受賞しているような科学者なのだと思います。「分からない」こそが科学者を動かす原動力であり、「理解した」というのは科学者にとって妥協の言葉でしかないんじゃないだろうか。

「分からないですね」と自嘲気味に笑い、次の瞬間にはきれいさっぱり忘れて次のニュースを読み始めるキャスターも、付け焼刃の知識と尤もらしい解説で視聴者を納得させようとするコメンテイターも、結局はどちらも蓋をしてしまってるのです。分からなくて当然、その分からないことこそ大切にしろという科学者の言葉が僕には一番尊いものに思えますね。

今日の一言
理解したらその時点で試合終了ですよ

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