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予言とか予告とか

今日東京で大きな地震が起こると言った予言者がいたそうですが、何も起こらなかったようで、一安心。いや、もちろん信じていたわけではないですよ。安心といったのはひょっとして何らかの偶然で今日たまたま小さな地震が東京に起こっていたことを想像するとぞっとしてしまうからです。

例えばこの件に関して警察や各自治体って何らかのリアクションをとったでしょうか。おそらくとっていないでしょ。完全に無視、どう考えてもそれが正しい大人の姿勢なんです。そんなものにいちいちリアクションを取っていたら変に不安を掻き立てるだけだし、社会が機能しなくなる。ところがもし今日本当に地震が起こり、その被害者が出るなんてことになったら。ひょっとしたら情報を知りながら無策だった政府や自治体を非難する声が起こりゃしないかと。そうなると同じことがあるたびにどんなに理不尽に思えても、「何かあってからでは遅い」という世論のプレッシャーに押されて何らかの行動をとることを迫られる。

これって最近のニュースで頻繁に取り上げられるネットでの「犯罪予告」と重なりませんか。「天災の予言」と「犯罪予告」とを同列にしちゃいけないよ、だって実際に秋葉原の事件をはじめとする無差別殺傷事件はすべてネットにその予告がされていたんだから、と言う人がいるかもしれませんが、いやいや、これこそまさに人々が予言を信じてしまうのと同じ心理トリックでしょ。予言というのはほとんどの場合何か事が起こった後に確認されます。同時多発テロは予言されていたんです、四川大地震も予言されていたんです。それが真実と証明されればもう予言者の力は揺るぎないものに思えてしまいます。ところがよく考えればこれは全くフェアではない。外れた予言がその何十倍もあったとしてもそれは注目されていないからです。「犯罪予告」の件でも同じ。予告されていながら実際には犯行が行われなかったケースはどれくらいあるのかは誰も教えてくれないでしょ。冷静に考えればこれほどに偏った情報なのですが、ほとんどの人はそれに気がつかないんですね。都合のよい情報だけを強調し、残りを隠す。予言の手品なんかではよく使われる定番のテクニックなんです。

無責任な予言をセンセーショナルに取り上げようとするマスコミの姿勢は本当に酷いと思いますが、無責任な犯行予告に過剰な反応をする、あるいはそれをあえて煽る社会も同じくらい危うさを感じます。

今日の一言
「予言」とは未来形で語られた過去である

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