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100パーセント社会

AmazonでDVD一枚を注文すると, ビックリするほど大きなダンボールに包まれてやってきますよね。DVDのディスクが割れ物というのは理解できますが、どう考えても限度を超えてる気がします。

そもそもDVDディスクが傷つかないようにするために頑丈なプラスチックケースがあるんですよ。さらにそのケースが傷つかないように薄い透明なラップがしてあるわけ。この時点でもう十分でしょ。そのまま封筒にいれて発送しても問題ないレベル、実際店頭でDVDを買った場合はそれをビニル袋かカバンの中に入れて家に持ち帰るわけだからね。しかしその状態のものをさらにプチプチでぐるぐるに包み、ボール紙の中央にテープで固定し、仕上げに大きなダンボールに入れる。この五重六重の警護体制。たかだかDVD一枚に国宝級の瀬戸物扱いですよ。そこまでするメリットは誰にあるのかしら。それをいちいち開封するのも手間なら、出るゴミを捨てるのも一苦労。資源の無駄だし、送る側のコストも馬鹿にならないでしょうに。

こういうのって僕は100パーセント社会の弊害だと思うのです。あらゆるクレームに対応するため万一の事態まで想定し、それでも傷1つつかないようにする、その結果がこれでしょ。でもほとんどの人が考える「十分」はそれよりずっと手前にあるのです。完璧を要求する一握りの声が大多数の人の利便性を損ねている。そういうことは世の中にたくさんあるような気がするのですね。消費期限とかだってまさにそう。100%安全と言い切れる時点に線を引こうとする余り本来はなんの問題もなく食べられるものまでがどんどん廃棄されてるわけですからね。本当の公益性を考えるなら、自己判断、自己責任の余地を20%くらいは残す、それを許容できる社会が必要なんでしょうね。

やや話はそれますが、模試やテキストの数学の問題文を作っているときにも同じようなことを感じることがあります。数学の問題文というのは基本的に読み間違いや解釈の違いが起こらないようなものでなければならないというのは当然ですが、例えば

「1から10までの数字が書かれた10枚のカードがあり、、、」

という文章を書いたとしますよね。意味は分かるでしょ。UNOみたいに各カードに数字が1個ずつ書かれたものを誰もが思い浮かべるはずです。ところがこの書き方では誤解を生じると主張する人もいます。1から10までの数が1枚に書かれているビンゴゲームのシートのようなカードが10枚あるという読み方も出来なくはないと。このような誤解を生じさせないようにするため

「10枚のカードがあり, k枚目のカードにはkの数字が書かれている(k=1,2,…10)」

のような回りくどい書き方をすることになります。でも誰がどう考えたって最初の方が読みやすいのです。厳密性を追求する余り、可読性が損なわれるってのはなんか本末転倒。仮にそのようなひねくれた読みかたが出来たとしても、そう解釈したら問題として成立しないことは前後の文脈から分かるんですよね。大学の教科書なんてもっといい加減な記述はいくらでもありますが、これが問題として成立するためにはこういう風に解釈するしかないなというのはおのずと察せられるようになる。そういうのも含めて数学力だと僕は思うのですけどね。

80パーセントの社会。それくらいが実は一番ちょうどいい。

今日の一言
♪そうさ80パーセント勇気、のこりは自己責任

Comments:1

松田 2008-08-31 (日) 00:15

法律がまさにそんな感じですね

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