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死について思う

寝室の脇には赤と青の2つのボタンが用意されています。青のボタンを押して寝ればいつもどおり次の日の朝を迎えることができますが、赤のボタンを押して寝ればそのまま二度と目覚めることはありません。あなたは毎晩寝るたびに自分自身で選択しなければなりません。青のボタンを押すのか、赤のボタンを押すか。

毎年交通事故死者をはるかに上回る人が自ら命を絶っている悲しい現実があります。馬鹿げた空想ですがこんなボタンを誰もが持って生活していかなければならないとしたら、赤のボタンを押して死を選ぶ人は、現在の自殺者よりもっと多くなるのでしょうか。僕はひょっとしたらその反対なのではないかと思うのです。

ほとんどの人は毎晩繰り返し繰り返し青のボタンを押すことになるでしょう。でもその選択のたびに人は赤のボタンを押す自分を想像してしまうと思うのです。それを自分が押すとしたらどういう状況なのだろうか。そしてもしある日、本気で赤ボタンに手をかけようとすることがあったなら、やはり自分に問うことになると思う。本当に今が「その時」なのか。自分が繰り返し思い描いた状況はひょっとしたらもっと悪いことだったのではないか。一生に一度しか使えない、でも使おうと思えばいつでも使えるボタン。そう思えたとき、何も今使わなくてもいいかって、ふと楽な気持ちになれるのではないかな。

電車待ちの列の最前列でホームに入ってくる電車を眺めるとき、僕はいつも生と死の境界線に立っているような思いに駆られます。この瞬間、まさにさっきのボタンのように、生きるか死ぬかという同等の重みを持つ二者択一を迫られている、そんな気がするのね。周りからは飄々と生きているように思われがちなのだけど、実際は自意識が過剰でコンプレックスも強く、自分の感情を表現することがすごく苦手。周囲の人間に全く悟られずにある日突然破壊的な行動を起こしてしまう自分自身の危うさを正直全く否定できないのだな。だから僕は日常の中に転がっている死に対して自覚的であろうって思います。そのたびにしっかりと青のボタンを押す自分を意識する。それって実は大切なことなんじゃないだろうか。

生は死の対極としてではなく、その一部として存在している

「ノルウェーの森」の村上春樹さんの言葉。

人はいつでも自分自身を殺すことができる。それはタブーではなく、希望だ。たったそれだけの価値観の転換に救われる人は多いのかもしれない。

川田亜子さんの死にそんなことを考えたりしました。

今日の一言
「メガンテ」は意外と使いどころが分からない

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