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不便の合理性

毎週利用する駅の前には小さなロータリーがあり、そのロータリーの中は公園のようになっています。校舎に向かうのにはロータリーを廻るよりも中央の公園を突っ切っていく方が近道なのでいつもそうしているのですが、その公園の出入り口が非常に"通りにくい"構造になっているのです。

アーチ状の金具が幾重にも配置されているためまっすぐ進むことができず、歩行者が出入りするときは教習所のS字クランクみたいな進み方をしないといけません。まるで人間イライラ棒。車や自転車が中に入れないようにするためというのは分かるのですが、何もここまで厳重にする必要はなかろうにと通るたびにいつも不便を感じていました。

今日は小雨もぱらつく天候で、また少し慌てていたこともあり、かなり駆け足で駅に向かっていました。いつもどおりその出入り口を通り抜けようと歩みを緩めたその瞬間、前の道を車がさっと通り抜けていく。そのときなるほどと気づいたわけです。この金具は車の進入を防ぐためだけのものではない、実はこのように歩行者の歩みを止めること自体に大きな目的があるのではないかと。

考えてみればこの公園の一歩外側は車が頻繁に往来するロータリー。公園で遊んでいた子供が車道に飛び出す可能性は十分に考えられます。しかしどんなに急いでいてもここを通り抜けるときにはどうしてもスピードを落とし、一旦立ち止まらないといけない。一見すると不便な構造は実は事故防止に大いに貢献していたわけなのです。

事故を防ぐため保温ポットのお湯はワンタッチでは出せないように工夫されているそうです。またテロ対策のためにテレビ局の廊下はあえて迷路のように場所が分かりにくく作られているという話も聞いたことがあります。利便性を追求することだけが合理化ではない。我々の身の回りにある一見不便なことが実は理に適っていることは意外に多いのかもしれませんね。

今日の一言
東京駅の分かりにくい案内標識は脳トレの意味があるに違いない

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