- 2008-04-10 (木)
- しみじみ
今週の日曜日は素晴らしい天候にも恵まれ、京都は桜の最高の見頃を迎えました。人ごみが嫌いな僕ですが、とある事情で円山公園にお花見に連れて行かれるはめに。
桜の時期にここに来るのは8年ぶりくらいかもしれません。想像を絶する人の間でブラウン運動を繰り返しながら、全国的にも有名なしだれ桜の前に近づいていきます。公園のほぼ中央に位置する大木の周りはやはり絶好の写真スポットであるようで誰もが空に向けて携帯を向けます。その結果少し離れた所からみるとものすごい数の携帯電話が人の頭からにょきにょきと突き出し、ちょっとした携帯の草原を作ります。ちょっと頑張ればあの上を歩けるんじゃないかな。ナウシカのラストシーンを思い出して目頭が熱くなりました。ランランララランランラン。
なんだかんだ言って僕もこの桜とは久しぶりの対面だったので、内心は少しわくわくしていたのですが、いよいよそれを目にしたとき何か物足りない感じを覚えました。周りの人を観察するとみんなもちょっと微妙な反応なのですね。あれ、ま、でもやっぱり綺麗だよねー、みたいなワンクッションあるリアクションをする。
過去の記憶の美化を差し引いても、やはりかつての見事さが影を薄めているのは否定できないですね。かなりの老木、幹への負担を考えて大幅に枝を間引いたのかもしれない。人の容姿と同様、花はその木の生命力を如実に反映してしまう。それが徐々に失われていくことをさらけ出すことになるのは桜であるが故の悲しい宿命です。
自分の衰えを自覚し、それでもなお公園の中央に居座り続けなければいけないこの桜はどんな気持ちなのかな。無様な姿を人目に晒すくらいならいっそと、円楽さんのように潔く身をひきたいと本当は願っているのかもしれない。そう思うと桜に向けて浴びせられる無数のカメラのフラッシュがものすごく残酷なものに感じられてしまいました。
今日の一言
桂米朝さんの姿をふと重ねてしまいます