- 2008-03-25 (火)
- 学問
東急ハンズでとても面白い時計を発見しました。とてつもなく高速で左右に振れるメトロノームをイメージして欲しいのですが、そのメトロノームの棒は特定の位置で特定の光り方をするようにプログラムされています。それにより棒の動いた空間に光の文字(この場合は時刻)が浮かび上がるのです。原理は理解できても、実際に目の当たりにするとその不思議さに思わず時間を忘れて見入ってしまいます(時計なのに、、)。触ることも取り出すことも、写真を撮ることもできない、いわば時間と空間の連続性があってはじめて存在しうる文字なのです。
さて、いま僕は「存在しうる」と書いたのですが、この文字が果して本当に「存在している」のかと問われると少し答えに困りますね。確かにそこにあると感じている像は、しかし次の瞬間に消え、また次の瞬間に新しく生み出されているものです。僕たちがそこに見ているのはその絶え間ない流れの中でとどまっているように見える残像でしかない。「動的な静」。この玩具に実にしっくりとはまる言葉です。
ふと最近読んだ本の中に書かれていたことを思い出しました。ベストセラーになっている「生物と無生物のあいだ」。そこには次のびっくりするような内容のくだりがあります。この「動的な静」こそがまさに生命の本質である、と。
生物というのは外部から何かを取り込んだり、吐き出したりしながら生命活動を営む「入れ物」のようなものであるというのが一般の生物観であるし、もちろん僕もそういうものであると思っていました。しかし実際はそうではないとこの本は主張します。生物を構成する要素を分子レベルでみれば、それは常に壊され、次の瞬間に作り直され、一時たりとも同じ場所にとどまっていない。つまり入れ物という固定されたものはなく、まさにさきほどの玩具のようにとっかえひっかえ現われては消える分子の残像のようなものが生物であるというのです。驚くべき価値観の転換にはっとさせられてしまいました。なるほど、であれば虚像のように見えるこの光の文字は限りなく生命に近いものなのかもしれない。
この本の著者である福岡伸一さん。理科系の第一線で仕事をしながら、これほどまでに文章がうまい人がいるということに深く感銘を受けましたね。内容も非常に興味深い。お勧めの一冊です。ちなみに名前を見て一瞬ギャンブル漫画の人かと思ってしまいますが違います。「ざわっ」とかはなし。
今日のひとこと
理科系人間こそ文章が書けるべきなんだろうな
- Older: PLAYの総括 (その2)
- Newer: 到達