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言葉と文脈

ひとつがいのウサギが生まれると、そのウサギはその2ヵ月後から毎月ひとつがいごとのウサギを生む。このとき、ウサギの数はどのように増加するか。

レオナルド・フィボナッチがフィボナッチ数列を登場させるのに用いた歴史的に有名な規則。もちろんこのように永遠に子供を生み続けるウサギが実在するはずはありませんが、一方で自然界のいたるところにこのフィボナッチ数列が実際に現れることはよく知られています。ある事柄を解釈するために用いられる単純化された規則のことを「モデル」といいます。自然界のある種の現象を説明する上でフィボナッチの規則は極めて有用なモデルとなるわけです。

少し前に世間を騒がせた柳沢さんのいわゆる「産む機械」発言、その強烈な言葉のインパクトに世論は激昂しましたが、正直僕はそれほど腹は立たなかったのですね。この発言の前後の文脈を冷静に聞けば柳沢さんがしようとしていたのはまさにこのモデルの話であろうことが分かるから。日本の人口推移を試算するときには、1人の女性がどのくらいの年齢で何人の子供を産むかという平均的なモデルを作り数式の上にのせる。このとき最初のウサギの例と同様、人をあたかも何かのシステムであるように扱うものなのです。それを説明する経緯で「仮に女性を子供を産む機械とみなして」という発言が出たわけ。確かにそれはデリカシーのない発言であったとは思うし、それを聞いて傷ついた人がいれば謝罪も必要だったと思う。でもその後も「産む機械」発言がその本意と離れて一人歩きし、柳沢さんが女性蔑視者的なレッテルを貼られ糾弾されていく様子をみていると、僕はむしろその世論の方に怖さを覚えました。

今世の中を沸き立たせている「倖田発言」問題に何か同じ匂いを感じるのですよ。この発言もきちんと前後の文脈を見ればその印象は世間で報じられているものとはかなり違います。妊娠したマネージャーに対してはやく子供作れよという激励の意味を込めて発せられた言葉で、たぶん双方の人間関係の中では冗談として通じるレベルのものなんだろうね。本人も本気で羊水が腐ると思っているはずがないし、品があるかどうかはともかく悪意のある発言ではない。それを公共の電波で言ってしまったのは軽率だとは思うし、それで不快な思いをした人がいるのも理解できますが、それに関して謝罪したにも関わらずなおもとどまらず彼女の人格攻撃にまで発展していく世論はやっぱり何か変だ。

言葉って透明のパイプみたいなものだと思う。連結させることでその中に感情が流れ、いろいろな色に染まる。でもそこから抜き出された言葉はやはりただの透明のパイプでしかなく、そこに当初の感情とは違うものが込められれば、全く異質な色に変わっていくことが起こりうる。怖いのは言葉ではなく、言葉が文脈から切り離されることだ。

今日の一言
花は野に、言葉は文脈に

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