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海の中道大橋事故について思う

どうしようかなって思ったのだけど、この記事についてはやっぱりちょっと書いてみることにします。

福岡市東区の「海の中道大橋」で06年8月に起きた3児死亡事故で、元市職員の今林大(ふとし)被告(23)側は22日、業務上過失致死傷罪とひき逃げを併合した上限の懲役7年6月(求刑・懲役25年)を言い渡した8日の福岡地裁判決を「重すぎて不当」として福岡高裁に控訴した。 検察側も控訴しており、検察側が求める危険運転致死傷罪適用の是非や量刑を中心に2審の審理が行われる。

猛スピードでの飲酒運転、事故後の逃走、隠蔽工作。報道されているあらゆる点を考慮しても事故を起こした市職員に同情の余地は全くありません。これほどの事故を起こしておきながら裁判では危険運転致死傷罪が適用されない、その上に加害者が更なる減刑を求めて控訴する、こんなことが許されていいのか、厳しい世論の声があるのも当然のことです。その非難の矛先は弁護士にも向かう。仮にこの事故の弁護士が職を奪われ、加害者が死刑になっても誰も文句はいわないんじゃないか、そう思わせるくらいの雰囲気すら今の世の中にある。

ただ、僕は余りに激しい反応にも少し怖いものを感じているのですね。もう少し冷静にみるべきではないかなって。この事故が社会にもたらした衝撃はとてつもなく大きいものだった分僕らはこの事故に過剰に多くのものを投影させすぎてる気もするのですよ。幼い子供3人の尊い命の犠牲、日本全国に広がった飲酒運転撲滅運動への影響力、お役所への反発。積みあがった重みが知らず知らず公平なものの見方を歪ませることは起こらないだろうか。そうなのだろう、そうであって欲しい、そうでなければならない。

あまり報じられてないですがこの事故で弁護士は「被害者」の運転手のいねむり運転の可能性を指摘しています。居眠りでアクセルから足が離れ、スピードが極端に落ちたところを追突され、その後の事故回避行動が遅れたという可能性。とんでもない暴論、でっちあげだと受け取ることもできますが、僕は1つのシナリオとして全くない話ではないと考えています。大切なのは僕らは何が事実なのかを与えられた情報を通してしか見ることができていないという点。僕らがそうだと信じていることは、自分の頭の中に作り出された間接的なものでしかないはずです。報道が伝えることだけをすべて鵜呑みにし、弁護士の話をありえないとして切り捨てる根拠は実はどこにもない。

裁判の経過などが光市母子殺害事件とよく対比されていますが、殺人事件と交通事故を同列に論じるのはやはり乱暴だと思う。事故であれば双方の言い分を聞き、可能性を列挙して、責任の度合いをきちんと秤にかけないといけない。それは被害者にとってあまりに酷いことなんだけど、弁護士の立場としてはやむをえないものです。

光市母子殺害の加害者に僕はひとかけらの人間も感じませんが、この事故の加害者に僕は悲しいほど人間を見てしまうのです。これは同情と言う意味ではなく。自分自身がこの事故を起こしてしまったとして果たしてどれほどのことができただろうかって考えてみる。気が動転してその場から逃げ出そうとしなかっただろうか。15m下の暗い海に救助のため身を投じることができただろうか。そう考えるとぞっとしてしまう。やはり僕は無我夢中で自分の保身に走るのかもしれない。彼の行動はどこにでもいる人間の一皮下にあるどうしようもなく醜く身勝手な姿なんじゃないか、そう思ったときこの加害者にすべての悪を押し付けて石を投げつけることなんてできない気がしてくるのです。

この事故は僕みたいな人間の中にさえずしりと重たいものを残しました。この事故を契機に日本社会の飲酒運転への意識は高まり、それは間違いなく交通事故死亡者の減少につながっています。それだけでも3人の死は決して無駄にはなっていないと僕は信じます。それがどれほどの救いになるものなのか、この裁判がどのような結論になるのかも分かりませんが、ただただ被害者のご両親の心休まる日が一日も早く来ることを祈るばかりです。

今日の一言
「真実」から感情を取り除くことは極めて難しい

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