Home > しみじみ > 裏表紙

« 今年の嘘ニュース | メイン | つれづれなるままに »

裏表紙

「文章がうまいですね」って褒められると素直に嬉しい。たぶんそれは誰かが誰かの魚の食べ方を見て「きれいに食べますね」って褒めている程度の意味合いでしかないんだろうけども、それでもやはり嬉しい。さほど文学的な才能に恵まれなかった僕がそれでもなんとか人に喜ばれる文章を書きたいと思って試行錯誤しながらどうにかこうにか身に付けてきたものを認めてもらった気がするからなんだろうな。

「人に読ませるために文章を書く」という行為に僕が初めて向き合ったのは高校生の頃、生徒会のメンバーがたむろする小さな部屋に置かれていた生徒会誌と呼ばれるノートがその出発点だった気がします。生徒会誌と銘打ってはいるものの活動の内容を報告するといった殊勝な目的とは全く無縁で、日々思うことや小ネタを皆が自由に書きあうようなものでした。とはいえ時には1つのテーマについてみんなが意見を寄せあったり、その結果ちょっとした論戦になることも。

そのノートに文章を綴ることが僕は好きでした。夏休みの宿題に提出する読書感想文なんて大嫌いだったんだけどね。定められた原稿用紙のマスを塗り絵のように埋めていくだけの文字は書かれた瞬間に役目を終えて死んでしまうけど、そのノートに書いた文字は確かに生きて自分の身近な人に届く、その人を笑わせたり、考えさせたり、時には傷つけたりする。それを肌で感じるのはすごく素敵な、そして大切な経験でした。言葉の持つ力の強さや繊細さを知り、心と言葉の間合いの取り方やリズムを自分なりに少しずつ体得していく。我流ででたらめもいいとこ、国語の時間に習う文章のセオリーなんてちっともピンとこないし、句読点の打ちかたも曖昧だし、「です・ます調」と「だ・である調」が混在するし。それは今も全く変わらないんだけど、でも多少なりとも人に感心されるような文章が書けるのはこのとき培った経験あってこそだと思うし、このブログも確かにこの会誌の延長線上にあります。

今ではこういうやり取りはネット上の掲示板やmixiの日記にとって変わったのだろうけど、大学ノートに書く生徒会誌だからこそ皆が共有できていた面白い認識が一つありました。ノートに文字を書いていく限り必ずおとずれる最後の1ページ。それも紙のページをすべて費やした後おまけのように残される表紙の裏側のつるつるした部分ね。本来字を書くための場所ではないので鉛筆の芯がすべって異様に書きづらい。それでも最後を締めくくる文章をここに書くのはここにたどり着いた人だけに与えられる貴重な権利でした。誰も口にしないけど、そこには間違いなく何か特別な雰囲気があったな。普段なら気恥ずかしくてちょっと書けないようなまじめ考えであるとか、将来の夢、あるいは誰かに対する個人的な感情とか、そんな文章を書いても許されるような気がした。新しいノートが始まればすべてなかったことになっていつもどおりまた皆がたわいのない話を始めてくれるんだからってね。

明日はいよいよ大晦日。それが1年分のノートをきちんと使い切った自分へのご褒美としてやってくるつるつるの裏表紙のように僕には思えます。さあ、何を書こうかな。生徒会誌を前にペンをとり、どきどきしていた高校時代の自分の姿がふとよぎります。

今日の一言
裏か表か裏表紙

Comments:0

Comment Form

コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。

Remember personal info

Home > しみじみ > 裏表紙

Search
Feeds

Page Top