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優先座席

「全席が優先座席」という考え方で電車内から優先座席を撤廃していた阪急電鉄(本社・大阪)は17日、8年半ぶりに全車両で復活させると発表した。どの席でも譲り合う思いやりの精神が定着しなかったためという。“性善説”に期待した同社の理想は、車内モラルの低下という現実を前に挫折した形となった。

ずいぶん長い間阪急に乗っていたけど、優先座席がないことも、それが「全席が優先座席」という考え方から行われていることもちっとも知らなかったよ。

この話ってちょうどあれと同じだなと思いました。「敬老の日」が近づくと必ず誰かが言い出す「お年よりは常に敬うべきものであり、敬老の日なんてものを取り立てて作らないとお年寄りを大事にできない社会はおかしいじゃないか」っていう議論。正論っちゃ正論だけど、じゃあ1年365日つねにその敬意を表しながら生活していくことができるかっていうとそれは別でしょ。どんなに普段から感謝の気持ちを持っていても、それを改めて言葉や形にするって言うのは結構なエネルギーが必要。いままで胡坐掻いていた人が突然正座して話し始めるようなものだからね。急に空気がピリッとなっちゃって、かえって「何かあったんだろうか」なんて余計な気を使わせてしまうかもしれない。特別な日がありがたいのは、そのいつもと違う空気を双方が自然に受け入れることができるからだと思うのです。

別にいい人ぶるわけではないけど、僕は普段からお年寄りが来たらできる限り席を譲ろうとは思っているのです。でもいつも躊躇してしまう自分がいます。「結構です」って言われたら気まずいなとか、相手に余計な気を使わせることにならないかなとか、周りの人はどう思うだろうとかいろいろな事を考えちゃう。そういうとき僕は自分が立ち上がる自然なきっかけを一生懸命探そうとするのです。周りにもたくさんの人がいる中で何故この僕が立ち上がるにふさわしい人物であるのか、なんでもいいから理由が欲しいと思う。そういうとき僕が座っているのが運良く「優先座席」だったとしたらこんなにうれしいことはないですね。僕が立つのはそれがルールだからで別に誰に気を使ってるわけでもないのですよみたいな顔で振舞うことができるから。

席を譲ることができるのはよい心の持ち主で、それをしないのはモラルの低下だというのは簡単だけど、実際はそれほど単純な問題でもないのかも。昔国語の教科書に載っていた「夕焼け」という詩を思い出します。お年寄りに席を譲れなくなってしまう女の子の詩。

固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう
やさしい心の持ち主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる

(「夕焼け」 吉野弘 一部抜粋)

この少女と同じ気持ちでいる乗客もきっとたくさんいるはずだと思うんだよね。「善意」の取り扱いって考えれば考えるほど難しい。

今日の一言
良いことをするときほど何か言い訳が欲しくなる

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