- 2007-10-15 (月)
- 時事
物でもサービスでも何らかの恩恵を受けようというとき、それに釣り合うだけの代償を出さなければならない、というのが経済における等価交換の原則であり、普通の場合お金を支払うことがその代償になります。しかし考えてみるとお金の持つ価値というのは間接的なものです。お金のやり取りとは「将来に何かを得ることができる機会」のやり取りと言い換えてもいい。そう思ったときお金が代償となりうるためには2つの前提条件が必要なことに気づきました。1つはお金の持つ価値について共通の認識が常に存在するという前提、日本の発行するお金であれば日本という国への信頼ですね。しかしあるいはそれ以上に大切な前提がもう1つ。今後自分に生きていくべき明日があるという前提です。
お金を払って自分の命を見ず知らずの他人の手に丸投げするっていうニュースが世の中に軽いさざなみをたてて消えていきましたが、その取引に使われた20万円というリアルな金額を聞いたときすごく不思議な感じを覚えてしまいました。これでは人の命があまりに安すぎるなんてことを言いたいわけではなくて、これから死のうという人にとって20万円を失うことが果たしてなんの代償となるのかと思ってしまったわけ。その人にとって20万円が100万円、いや全財産だったところでそこに何の違いもないはずじゃないんだろうか。
ビジネスが上皿天秤の上で成り立っているのだとすれば、いわばその片方の皿を完全に取り外してしまったような状況。こういう極めて特殊な状況においてすら、やはりそこには電化製品を買うときのようなビジネス取引が成立していることになんともいえない違和感があるのですよ。そこにはどんな精神状態が存在するんだろう。非人道的な行為、でもその裏に見え隠れするのはどことなく悲しく俗な人間の姿のような気がしました。
今日の一言
価格.comに集まっているのは生きようとするエネルギーだ