Home > 日常 > 文学の賞味期限

« 大きなカメラ | メイン | 命の取引 »

文学の賞味期限

最近、明治から昭和初期の文豪の小説を読みあさっています。

有島武郎「或る女」
高村光太郎「智恵子抄」
夏目漱石「こゝろ」
樋口一葉「たけくらべ」

などなど

タイトルと作家名を聞けば「ああ、それね」と誰もがうなずく、にも関わらずその文章に実際に触れたことがある人はほとんどいない、そういった類の作品群です。書かれた当時は新聞や雑誌に掲載されていたわけだから、庶民が手に取りそのよしあしを論じ合うようなものだったはずなんだよね。それがいつの間にかある種の威厳を背負わされ、図書館の奥の誰にも入れないようなスペースで風格のある埃を積もらせているのです。僕らが目にするのは教科書や試験問題として切り抜かれ、目障りな横線をいやというほど引かれたものくらい。こういうのって最も不幸な作品との出会いだと思いますね。作品を鑑賞するのはすごく主観的な行為であり、だからこそ心が躍るものなのに、教科書はひたすらに客観的であまりに醒めすぎてる。例えるなら女性の裸を医学書で見ているような感じだな。それに興奮するのは至難の業ですから。

近頃こういった文学作品をあのNintendo DSで読めるソフトが発売されています。さほど期待せずに買ったのですがこれがなかなかいいのですよ。格調高い重厚な文章におよそ似つかわしくない現代的なスクリーン、携帯のメールを読むような手軽さ、このミスマッチが作品が期せずして身にまとうことになった権威をうまく中和してくれるから不思議なものです。連載中の漫画を読みながら、ここは間のぴしてるねとか、締め切りに追われて無理やり終わらせたなとか作者と同じ視点に立ってあれこれ考えることってあるでしょ。それと同じ感覚で古典文学を味わうことってすごく大切なことなんじゃないかな。なんだ、気難しい奴だとばかり思っていたけど、案外面白い奴だったんじゃんって100年近く昔の人に妙に親近感を覚えたり。

それにしても驚くのはこのソフトのコストパフォーマンスの良さ。1本のソフトの中に100冊以上の作品が収録されていているから、単純に1冊わずか30円足らずで本が買えている計算です。どうしてこういうことができるかというと、著作物の権利は著者が死んでから50年で保護期間が切れることになっているらしく、古典作品って今はタダ同然なのです。くだらない小説を指すものだった三文小説という言葉がここに来て全く正反対の意味に聞こえてきそうですね。

この50年という保護期間は世界的な基準からすると短いもので、これをさらに延長しようという動きもあるようです。もちろん著作者の権利が尊重されるべきものではあることは言うまでもないのですが、一方でそのようなしがらみから開放され新しい命を吹き込まれた名作たちが、なにか非常に晴れやかな表情をしているような気もするのです。空気を吸うようにモーツアルトの音楽を聴き、美しい夕日を眺めるように夏目漱石の本が読める。長い年月を経て芸術は人の手を離れ、ようやく本来そうあるべき姿に戻されるのかもしれないな。

今日の一言
素晴らしい芸術に保護期間はあれど賞味期限はない

Comments:0

Comment Form

コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。

Remember personal info

Home > 日常 > 文学の賞味期限

Search
Feeds

Page Top