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弱者の言葉

これは決して特定の事件や特定の人物を指して書いているわけではないので、その点は誤解しないで欲しいのだけど、幼い命が犠牲になる残忍な事件が起こったとき、よく被害者の両親のメッセージや手記がニュースで読み上げられることがありますよね。僕はあれが本当に苦手です。特に犯人や犯行現場の映像を背景にナレーターがちょっと感情を押し殺したようなわざとらしい声で朗読したりするのには寒気さえ覚える。どうしてなんだろう。それは内容に対してではなく、多分そこに否応なく生まれてしまう空気に対してなんだろうと思う。怒りや悲しみ、共感を有無を言わさず押し付けてくるような空気、それに対する嫌悪感なんだろうな。

何の非もない100パーセント弱者の立場にある人の言葉は、そうであるが故に、誰も反論できない空気を作りだすでしょ。そういう言葉は時に絶対的な力を持ってしまうのですよ。本人が望むと望まざるに関わらず。もちろん被害者の遺族にはなんの非もありません。そこにこめられてるのは僕の想像できないほど悲痛な心からの叫びに違いないのです。でもそんな純粋で自然な感情がひとたびメディアに乗り、ある種の権力を持つことで全く異質なものに変わってしまう、そんな気がしてならないのです。それはアメリカを戦争へと駆り立てる世論を作った空気にも通じるものかもしれない。

何かの事件に対してその概要が報じられれば、それぞれの立場、それぞれの想像力で遺族の気持ちを推察することはできる。それで十分なんだと思う。メディアが必要以上に扇情的に報じようとするその言葉に対しては、僕らはすっと一線を引くべきなんじゃないだろうか。

今日の一言
正しい言葉を発する時ほど十分慎重でなければならない

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