Home > 発見 > 目と耳

« 評価と基準 | メイン | 車庫入れなんて大嫌い »

目と耳

電車の中ではよくiPodの音楽やラジオなんかを聴いているのだけど、最近ヘッドホンをインナーイヤー式のものに変えてみました。耳栓みたいな形をしたやつ。前から気になってはいたのだけど東京ハンズでたまたま見つけたので早速購入。使ってみてちょっとした衝撃を受けました。今までは電車のアナウンスや走行音がかぶさると曲が聞こえにくくなってたのに、そういう雑音が全く気にならない。むしろいままでより小さな音量ですごくクリアに聞こえるのです。これを使いはじめると今までのイヤホンはいったいなんだったのだという気になります。

ところが一方で余りに周囲の音が聞こえないために不便を感じることもしばしば起こります。電車が駅についても気付かずに乗り過ごしそうになったり、駅員に話しかけられても素無視をしてしまったりすることがあるのね。電車の中であればまだいいのですが、これが道を歩いているときになるとちょっと怖いですね。赤信号に気付かずに道を渡ろうとする、突然目の前に現れた自転車にどきっとさせられる、などなど。さすがに身の危険を感じるので、繁華街で歩くときは音を小さくするかイヤホンをはずすようにしました。耳からの情報が遮断されることって人をこれほどまでに不安にさせるものなんですね。ちょっと意外な発見でした。

目から入ってくる情報と耳から入ってくる情報を比べたとき、どう考えても目からの情報量が圧倒的に多いような気がしてしまうでしょ。「百聞は一見に如かず」なんて言葉もあるようにね。でも実際はそれは嘘なんじゃないだろうか。こんな風に道を何気なく歩いているときでさえ、車のエンジン音、人の話し声、自転車のブレーキ音などなど色々な音が知らず知らず耳に入ってきていて、人間はそういう耳からの情報を無意識のうちに判断材料にしながら次の一歩をどこに踏み出すかを決めているかもしれないのです。生活の上で聴覚って視覚に劣らず必要不可欠なものなんですね。

にもかかわらず聴覚が視覚に比べて重要度が低くみなされる理由はなんだろうかと考えてみてふと思ったのは、聴覚はそれを失ったときの状態を僕らが体験することがあまりないからではないだろうかなと。目がなくなったらどうなるか、それを実感するのは単に目を瞑って何歩か歩いて見ればいい。でも外界の音から完全に遮断された状態を実感することは人間の構造上できないでしょ。耳は寝てるときですらつねに外界に対して開かれていて、意図的に閉じることはできないですからね。今回の例のようにヘッドホンで音楽を聴いたり、あるいは原始的に耳に手を当てて「あー」って言えば外界の音は遮られるけれども、それとて音を音で打ち消しているだけの話で、無音の状態を作っているわけではありません。視覚は奪われる恐怖を身をもって感じてるけど、聴覚はその恐怖をそれほどに感じないわけです。だからその大切さが見えなくなってしまう。

いろいろなことに通じているように思える示唆的な話ですね。

今日の一言
空気の大切さは水に潜ってみないと分からない

Comments:0

Comment Form

コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。

Remember personal info

Home > 発見 > 目と耳

Search
Feeds

Page Top