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経験

僕はさすがにセレブだけあってコナミスポーツクラブの特別会員になっているので全国各地のコナミのスポーツジムに行くことができます。最近の一番のお気に入りは阪急西宮北口の駅前にあるジム。近畿地区でも最大規模のスポーツジムで、10レーンもある50メートルプールがあります。その中央のレーンは100m以上続けて泳ぐ人専用になっていて来る人はめったにいないので、いつものびのびと一人で泳いでます。

プールでは基本的に1500mを続けて泳ぐことにしています。これは50mプールでは15往復。ちなみに通常の25mプールでは同じ距離が30往復になります。いつも不思議に思うのですが、慣れている25mのプールで泳ぐときよりも、50mのプールで泳いでいるときのほうが1500mという距離が楽に泳げてしまうような気がしてしまうのです。もちろん同じ距離なので肉体的な疲れは全く同じはずなのですが、なんとなく精神的な疲れが違う気がします。どうしてなんだろう。

一つにターンの回数が少ないことはあるのかもしれません。タッチターンのときは息継ぎが楽にできるのだからターンが多いほうが体が楽なのではと思うかもしれませんが、それは逆なんですね。思うにその「楽な状態」から再び「きつい状態」に移行するときが精神的には一番しんどいのです。ちょうど一週間のうちで日曜日の夜が一番憂鬱になるのと同じで。そこでどうしても「ここでやめたいな」「もういいだろ」って自分が顔をのぞかせる。そこを押し切らないと駄目なのね。逆に一旦泳ぎ始めてしまうと意外と肉体的な疲労は意識しないものです。そういう点でターンの回数が少ないほうが精神的には疲れを感じないというのは一理ある気がします。

しかし僕が思うもう一つの原因は、僕はひょっとしたらこっちの方が大きいのではないかと思っているのですが、単純に"慣れていない"ことなのではないかと。ある決まった回数を繰り返し繰り返し泳いでいると、ターンした回数とそのときの疲れの度合いみたいなものを経験が覚え始めてくるのです。回数を数えながら無意識のうちに「今何割くらい泳いだ」、「あとどれぐらい泳がないと」みたいな割り算や引き算をしてその経験と照らし合わせようとするの。当然人間ってのは後半になるほど疲れていくもので、それを知っていることが残された距離を途方もなく長く感じさせるものなんですよ。そういう照合するべき経験がないほうが人は無心になれるような気がする。今の自分のポジションが実感できないから、ただ目の前にある水を自分に引き寄せることだけに専念できる。そうすると気付いたときにはあと1往復でゴールだってところまで来ていたりするのです。

それで一つ思うのは、僕は現在の予備校で勤めはじめてもう何年目かのシーズンを迎えているわけだけども、年を重ねるたびに1学期という期間がどんどん長く感じ始めているような気がするんだよね。勤め始めのころは1学期どころか1年が立つのがあっという間だったように思えたのに。それってこの水泳の話と同じことなのかもしれない。経験をつめばつむほど人は余計なことを考えすぎるものなんだろうな。ただ無心に、がむしゃらに目の前の水をかく、その初心を忘れてはいけないですね。

今日の一言
気付くとテキストの残りのページ数を数えてたり

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