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隠れた銃社会

若い警官が銃で殺された先日の立てこもり事件で、拳銃が僕らの想像以上に日本社会に浸透している現実が見えてきました。銃先進国アメリカの状況を見れば、銃を持つことはどう考えても安全な社会を保障してくれるものではない、これは子供にだって分かります。ではこんなシミュレーション。明日から日本の法律が変わり、誰もが販売店にいき正規の登録手続きを踏めば銃が手に入ることになったとして、果たしてどのくらいの人が銃を手にするようになるのでしょうか。

僕の勝手な想像では10年もすれば日本のほとんどの家庭に銃が置かれる状況が生まれるんじゃないかな。銃ってのは持つ人に対して持っていない人の方が絶対的に不利という状況を生み出すでしょ。例えば2人が向かい合って命のやり取りをするという状況になったとき銃を持つ人持たざる人の差は歴然です。そういう状況が実際にどれほど起こりうるかという議論はここでは横に置かれます。そうなる可能性が0.01%でもあるという事実が重要になる。

おそらく最初の何年かは銃を持つのはそれを本当に必要とする一握りの人たちだろうね。銃を持つことを頑なに拒む人もいるでしょう。しかしある時、銃を持っていなかった無実の人が凶弾の犠牲になるなんてニュースが社会を騒がせる。銃に関するビジネスも生まれ、銃の必要性をテレビのコマーシャルが言葉巧みに訴えるかもしれないね。そうするとじわじわと銃を持つ人が増えてくる。過半数を超えた辺りから銃人口は急激に加速するだろうね。銃を持っていない人の方が少ないという状況、自分が多くの人に対して圧倒的な不利な立場にあるというプレッシャーに果たしてどれほどの人が耐えられるだろう。どんな頑固な人だってもう持たざる得ないという状況になるよ。絶対。安全を求める個々の人々の合理的な行動がいつの間にか社会全体を危険なものに変えてしまう。ゲーム理論に登場する囚人のジレンマみたいに。

非現実的な話だと馬鹿にされるかもしれないけど、僕は上に書いたのと全く同じことが起こった一例が「携帯電話」だと思う。ためしに上の文章の「銃」を「携帯電話」に置き換えて読んでみるといいです。ほら、ほぼ違和感はないでしょ。もちろん銃と携帯電話を同列に論じるのは乱暴だけど、ここで言いたいのは大多数の人をつき動かしているのはどうしてもそれが必要だという差し迫った要請ではなくて、もっと漠然とした「不安」なんではないかってこと。まず「不安」が伝染病みたいにパーって広がって、それに覆いかぶさるみたいにして社会の枠組みが大きく変わっていくなんてことがある。これってひょっとしてすごく怖いこと?

今の社会は本当にさまざまな不安で満ち溢れてます。テロの不安、食の不安、将来の不安。でもそんな不安をいたずらに煽り立てるような言葉には十分慎重になって、そこで考えるべきなんだと思う。その背後に銃社会なんかより怖いものが待ってるのかもしれないから。改めて我に返って振り向いたときに、こんなものなかったほうが僕らの社会はもっと安全で豊かだったんじゃないかって思うことになるのかもしれないのです。

今日の一言
時代に逆らう勇気

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