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特急での事件について思う

先週、特急の車内で女性が暴行を受けるというニュースがありました。女性は40名ほどの一般の乗客が乗っている車両から無理やり連れ出されたのですが、犯人に脅され誰一人男を制止することは、もちろん警察に通報することすらしなかったそうです。ニュースは暴行事件そのものよりも、むしろこの乗客の態度について問題視する意見を取り上げていました。

「目の前で女性が連れ去られるのをどうしてなにもせずに見ていられるのか。」
「乗客がスクラムを組めば制止することなんて簡単にできたのではないのか。」
「百歩譲ってできなかったとしても、何故車掌に連絡したり、警察に通報することができないのか。」

この40名の乗客の態度について批判できる点は山ほどでてきます。ただね、僕がこの事件のニュースを聞いて少しつらくなったのは、自分がこの場に居合わせたとしたら、ひょっとしたら他の40人の乗客と全く同じことをしていたのではないかと感じてしまったからです。僕も電車通学、通勤が長いので、さすがに暴行事件とまではいかないまでも、酔っ払いが見ず知らずの人にからんでいたり、もっと小さなことで言えば、学生が電車の中で大声で騒いだり、子供が電車の中で走り回っているのに多くの人が迷惑をしているという場面にそれこそ何度も出くわします。そのたびに僕がむかむかしてしまうのは、迷惑をかけている人に対してが半分、もう半分はそれに対して何一つ言葉を出せず黙ってそれを見てしまっている自分に対してなのです。ついそのときの自分を特急の乗客に重ねて見てしまいました。

一人の女性を救うことができなかった40人の人間が責められる点は確かに多いでしょう。しかし、客観的に状況を把握できている今だからこそそんなことは言えるわけで、その場に居合わせなかった僕たちには分からない空気がその車両にはあったに違いありません。男の素性も分からない、凶器をもっている可能性、テロによってたった一人の人間が多くの人命を簡単に奪えるという恐怖も頭をよぎったはずです。そういう想像力が密閉された空間の中で増幅されることは起こりえます。家庭があり、仕事があり、それぞれに守るべきものを持っている人間が、その身を捨てて誰かのために立ち上がるということがどれほどの覚悟なのか、その覚悟があるかと問われれば今の僕には多分ないと思う。僕は絶対にそのとき臆病になって何一つできなくなると思うのです。

例えば誰か一人の命と
引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが
僕を臆病者に変えてしまったんだ

Mr.Childrenの「Hero」という歌の一節です。この事件を単に社会の薄情さや人間関係の希薄さを投影するニュースとして扱って欲しくはないなと思います。きっとそこにいたすべての人の中で想像できないほどの葛藤が存在したはずだし、そして結果として起こってしまった事件に多分一生癒えないほどの後悔を感じている人もいるに違いないと思うのです。このニュースを聞いてするべきは、全く同じ状況に遭遇したとき、自分がいったい何ができるのかと考え、その覚悟を持つことです。

今日の一言
心があるからこそ人は臆病になる

Comments:3

M.x.K. 2007-05-06 (日) 13:10

こんにちはー。
mixiから飛んできました。(笑)

で、最初にワタクシなどがコメントするのもどうかと思いつつ。
折角のブログ形式なので。。。。

そのニュース、ネット記事オンリーで知りました。
わたしも最初は報道の文面そのまま受け取ってアタマにきたのだけど、
座席の配置や声の大きさを考慮している人の日記を読んでるうちに、問題なのは、
・レイプというものは気付かれにくい
・非常ベルの周知がなされていない
・非常ベルの位置(でもあまり押しやすい位置だと誤報が発生する。。)
あたりなんだろうな、と思い至りました。
その解決方法については、エライ人がきっと考えてくれるでしょう。
レイプを通報できる女性が増えること、が、鍵かも。
犯罪は卑怯な行為だというなら、わたしたちは、安全を確保しつつ反撃したいと思う。
(そうでないと不公平だから)
というわけで、被害者の女性には事件後のケアにも専念してほしいし、
将来受けるであろうセカンドレイプに負けてほしくないけれど、
それ以上に体を張ってよく頑張った!と言いたいです。

なんちゃって。。久々にコメントしてこれか!と自分に突っ込みつつ投稿ボタンを押させていただきますヨー。
また静岡あたりに投げ銭しに行きます。

たっきゅう 2007-06-21 (木) 20:59

日記を書かれてからずいぶん時間がたっていますが…

昔ゲーム理論の教科書に、
いわゆる「群集心理」をゲーム理論的に解釈した例題が
載ってたのを思い出しました。
その例題はだいたい以下のような感じです。

街の中で交通事故が発生して、それをn人が目撃したとする。
目撃者は、救急車を呼ぶか呼ばないかを
各自で同時に決めなければならない状況にある。
誰が救急車を呼ぶかはわからないけれども、
ほかの人が救急車を呼ぶ確率は各自経験的に知っている。

さらに、目撃者はみな、

誰かが救急車を呼んでくれるのが一番のぞましくて、
2番目に望ましいのは自分が救急車を呼ぶこと、
そして誰も救急車を呼ばない、というのが一番悪い

と考えているものとする。

このような状況では、(あくまで理論上の話だが)
nの数が多くなるほど、誰も救急車を呼ばない確率が
高くなる。
(ゲーム理論の用語を使用していないので
多少不正確な記述ですが…)

上のゲーム理論の例題と今回の事件の状況は
よく似ているのではないかと思います。
目撃者が多数いたがゆえに、
かえって誰も通報しようとしない、
という皮肉な結果が生じたのではないでしょうか?

「ま、大変そうだけど誰かが何とかしてくれるだろ?」

って、交通事故とかを見かけると
俺もついそう考えてしまいますし、
ほかの人も絶対に同じようなことを考えたことが
あると思います。
新聞記事で目撃者のモラルを批判した記者も含めて。

なので今回の事件を日本人のモラル低下の象徴として
嘆かわしく思うよりも
群衆の前で事件が起こっても、
かえって誰も通報しない、
ということが起こりうるという前提で
事件を起こさない対策を講じる、という方向で
物事を考えたほうが健全だと思います。

長文のうえ、読みにくい文章で失礼しました。

池田洋介 2007-06-22 (金) 00:59

その分析は一理ある気がしますね。

よく大勢でエレベーター乗ったあと誰も階のボタン押してなくて、扉は閉まっても気づいたらずっと1階に止まってたなんてことがありますからね。みんな「誰か押してるだろう」って思っちゃって。

うーん、ちょっと違うか。

それと、かなり遅くなりましたが、M.x.Kさん、初コメントありがとね。

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