<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>役に立たない数学用語事典</title>
      <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/</link>
      <description>難解な数学用語を斜め30度に斬る　数学用語集　 気まぐれ不定期更新</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2009</copyright>
      <lastBuildDate>Mon, 08 Jun 2009 18:03:46 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>エウレカ! エウレカ!</title>
         <description><![CDATA[Eureka! : ギリシャ語で「分かったぞ!」という意味。

紀元前の数学者アルキメデスが風呂に入っている時に浴槽からこぼれ出る水を見て浮力の法則に気づき、喜びのあまり「エウレカ! エウレカ! (分かったぞ! 分かったぞ!)」と叫びながら裸のまま街を走って行ったというエピソードが残っている。まあちょっとした武勇伝である。

この偉大なアルキメデスに敬意を表す意味で、何か重要な発見をした数学者はこの言葉を叫びながら全裸で街を走り回り、その喜びを全身で表現するというのが数学界の慣習になっている。もし夜の公園などでそういう人をたまたま目にしたときは、どうかそっと見守ってあげて欲しい。

<strong>類語</strong>　「シンゴー! シンゴー! 」]]></description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_47.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_47.html</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 08 Jun 2009 18:03:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>白銀比</title>
         <description>正方形の一辺の長さとその対角線の長さの比は1対√2(=1.4142...)となる。これを白銀比という。

白銀比は日常生活の中で最も身近な比の一つである。学校や職場でいつも目にしているノートやコピー用紙の長方形の縦横の比。これは白銀比となっている。

これが合理的なのは白銀比の長方形は何度半分に折り曲げても元の長方形と全く相似な長方形が現れるという顕著な性質を持つからである。A3のプリントを半分に折るとA4に、A4のプリントを半分に折るとA5になることは経験上よく知っているであろう。白銀比の美しさは実用性の美である。

おそらく「黄金比」に対抗した「白銀比」というネーミング。今のところ「青銅比」や「エメラルド比」などは存在しないが、お菓子メーカーなんかがその気になればすぐに作りそうな気もする。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_46.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_46.html</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 08 Jun 2009 17:59:34 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>黄金比</title>
         <description>1.61803398…という比の値(無理数)のこと。φ(ファイ)と書くこともある。

「ダビンチコード」の中でダンブラウンが言っているように日常生活のいたるところにこの黄金比は現れる。

人間のへそから上とへそから下の長さの比率は?  なんと黄金比になる。
みつばちの雌と雄の比率は?  なんと黄金比になる。
王将で餃子のタレを作るときの最もおいしい醤油とラー油の配合比率は? なんと黄金比になる。
合コンにおける理想の男女比率は?  なんと黄金比になる。

あ、まじめな話、古代ギリシャ人がこの比に特別な意味を認めていたのは事実。それは単なる気まぐれではなく、きちんとした数学的な裏付けによる。黄金比は次の定義(外中比)により自己完結的に決まるものである。

1つの線分を a と b の2つの長さに分け、a:b という比と (a+b):a という比が同じになるようにする。このとき a:b は黄金比になる。

例えば正五角形の辺の長さと対角線の長さの比は厳密に黄金比になるし、フィボナッチ数列(ある単純な規則で生み出される数列)の隣り合う数の比もこの黄金比に収束する。この比の定義自体に内在する再帰的な構造を考えれば自然界に起こる繰り返しの中にこの比が顔を出すという主張にも十分な合理性がある。そういう意味では確かに日常生活の思いがけないところに非常に神秘的な形で黄金比は現れているのである。

一方で1:1.6くらいの比自体が日常にありふれているというのも事実で、冒頭に述べたような「黄金比らしきもの」の中には根拠の乏しいものも少なくない。すべてを鵜呑みにするのは危険であろう。それを証拠に世の中で黄金比と呼ばれているものの真偽の比率を調べると?  なんと黄金比になる。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_45.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_45.html</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 01 Jun 2009 22:19:57 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>素数</title>
         <description>1とその数以外では割り切れない2以上の自然数。

化学でいう「元素」のようなもの。世界中のすべての物質が分解していくと何らかの元素の合成物になるように、すべての数は分解していくといくつかの素数の積になる。

ただ「元素」が一定の秩序のもと限られた種類だけ存在しているのに対し、数の構成単位である素数は無数に存在し、その分布は驚くほどランダムである。

数という概念を持つ生命すべてが共有できるほど単純な概念でありながら、誰もその全体像をつかむことができない底知れぬ深さ。人知をはるかに超えた何かを感じないではいられない。素数の魅力にとりつかれた数学者は古来より数知れない。

ただどんなにその魅力にとりつかれたとしても、夜景の見えるレストランで女の子にする話題としてはNGである。その話が弾む確率は10桁までの整数中の素数の存在確率(約0.05%)よりはるかに低い。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_44.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_44.html</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 01 Jun 2009 05:31:18 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>合成数</title>
         <description>2以上の2つの自然数の積に分解される自然数のこと。素数でないすべての自然数は合成数である。

素数が数の世界の「元素」なら、合成数は数の世界の「化合物」に対応するであろう。合成数をどんどん分解していくと最終的にこれ以上分解できない「素数」だけの積に書き表すことができる。これを素因数分解という。

掛け算することと、素因数分解すること。小さな数の世界ではどちらも対等な操作のように感じてしまうが、100桁を超える整数のレベルになると実はそうではない。仮に合成数だと分かったとしてもそれを素因数分解することは最新のコンピューターを使っても宇宙の寿命を超える年月がかかる。一方でどんなに桁数の大きな素数であってもそれを掛け合わせて合成数をつくるのは実にたやすい。

炭を燃やして二酸化炭素を作るのは簡単だけど、二酸化炭素を酸素と炭素に戻すのは極めて困難であるのとなにか似ている。

この極端な不可逆性が現代の暗号理論の基礎になっている。小学生でもわかる単純な数の原理が国家間の機密活動を支えているなんて想像するとちょっと楽しい。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_43.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_43.html</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 01 Jun 2009 05:30:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>手の運動</title>
         <description><![CDATA[「ここまでやれば後は手の運動です。」

単なる機械的な計算のこと。英語では「Hand exercise 」(excite 翻訳より)。

式展開、シグマ計算、微分計算などなど、規則に則ってやればできることは何も考えずに手が動くくらい習熟しておこう。コツは目からの信号を大脳に送るのではなく脊髄反射で直接手に送ること。練習あるのみだ。

<strong>類語</strong>: マシン化する、「考えるな、感じろ」など]]></description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_42.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/06/post_42.html</guid>
        
        
         <pubDate>Mon, 01 Jun 2009 05:29:51 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>エレガント</title>
         <description>ある種の証明に対して心の中に否応なく沸き起こる恍惚感のようなもの、それ表現するときに数学者が使う定番の言葉。美味しんぼの「まったりとしていてそれでいてしつこくない」に相当。

「その証明は実にエレガントだ。」

敢えて言葉にするなら「単純でありながら、本質をついている」というようなことだが、「単純」とか「本質」ってそもそも何なんだ。うーん、誰にも説明できない。にもかかわらず数学者の共通認識として確かに存在している不思議な感情である。

どこかの数学者が「エレガントさ」を定式化しよう試みたらしい。全く定着していないところをみると、エレガントかどうかの証明自体は決してエレガントではなかったのだろう。

最上級はギザエレガンス。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_41.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_41.html</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 28 May 2009 00:33:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>エレファント</title>
         <description><![CDATA[長いし、ごてごてしてるし、読んでもちっとも分かった気にならない(でもどうやら正しいらしい)。そんな証明を指していう言葉。

「その証明、超エレファント」

分かってるとは思うけど、「エレガント」の対義語。響きが似てるってだけで引き合いに出されたゾウにとってはいい迷惑。

四色定理の証明は数学史上最もエレファントな証明としてその名を轟かせている。

<strong>類語</strong>　力技]]></description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_40.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_40.html</guid>
        
        
         <pubDate>Thu, 28 May 2009 00:17:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ケーニヒスベルクの橋</title>
         <description>現在のロシア、かつての東プロイセンの首都「ケーニヒスベルク」という街には川に挟まれた中州があり、そこに7つの橋がかけられていた。折しもその街では空前の散歩ブーム、街の人たちはこぞってその7つの橋のすべてを1回ずつ通ってもとの場所に戻ってくるような散歩コースを作ることに没頭していたという。しかし、それをなしえたものは「アド街っく天国」のスタッフも含め誰もいなかった。

散歩ブームの真偽とその時代にアド街が放送されていたかどうかは定かでないが、そういう問題が興味の対象であったのは事実らしい。実写版レイトン教授と不思議な町だ。

この問題をオイラーという数学者が「一筆書きの問題」ととらえなおして研究し、そのような散歩コースを作ることが「不可能」であるという夢も希望もないことを証明してしまう。街の人たちの失意は察するに余りある。

しかし捨てる神あれば拾う神あり。こんなたわいもない問題がその後「位相幾何学」と呼ばれる斬新な数学を生み出すきっかけになるとは。

どこに数学が転がっているかなんて本当に分からないものだ。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_39.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_39.html</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 May 2009 23:49:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>対角線論法</title>
         <description>○●●○●●○○○●○…

の様に○と●をひたすら並べていくような無限に長い列を考える。このような列のすべてのパターンに対して1番、2番、3番、…と番号を割り振ることは可能だろうか。並べ方のパターンは無数にある、とは言え、振り分けるための番号だって無数にある。一概に可能とも不可能とも言えないではないか。

カントールは画期的な方法でこれが不可能であることを証明した。これが歴史に名高い「対角線論法」である。

仮にすべてのパターンに番号を割り振ったリストが存在したとしよう。それを下図のように並べてみよう。

1: ○●●●●●…
2: ○○●●●●…
3: ●○●○○●…
4: ●●○○○○…
5: ●●○●○●…
6: ○●●○●●…
…

このリストの左上から右下に向けての対角線上に並んでいる○と●の無限列を抽出する。こんな感じになる。

○○●○○●　…

次にこの白と黒を完全に反転させた列を作ってみよう。

●●○●●○　…

こうして作られた列はこのリストの中のどのパターンとも一致しない。(その作り方をよく考えてみると明らかである。要するに「n番目の列」とは左からn番目の白黒が異なるようなパターンを作っている。)  ところが最初のリストは「すべてのパターンに番号を割り振ったリスト」であったわけだからこれは辻褄が合わない。ここから導かれる結論はひとつ、そんなリストはこの世に存在し得ない。

うなづくしかない。単純でありながら、この切れ味。はじめて聞いたときはそれこそ目の白黒が反転するくらい感銘を受けた。

この列を実数の無限小数表示に置き換えて考えれば、上とほぼ同じ議論で「実数に背番号をつけることができない」ということが示される。実数の無限は自然数の無限より深淵なり。「誰もに無限の可能性がある」なんていうけど、その無限すら序列と無縁ではいられない厳しい格差社会なのだ。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_38.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_38.html</guid>
        
        
         <pubDate>Wed, 27 May 2009 21:18:15 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>補間式</title>
         <description>グラフ用紙上に複数の点がプロットされていたとき、そのすべての点を通るような曲線の式を補間式と呼ぶ。補間とは文字通りデータとデータの間を補うこと、補間式を作ることで実際はデータが存在しないxに対するyの値を推測することができる。

当然補間式の作り方はいくつも存在するが、できる限り単純で解析しやすい関数を使うのが望ましい。例えば多項式関数で補間する方法としてラグランジュの補間公式などが有名である。

人類補完計画とはおそらく何の関係もない。字も違うし。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_37.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_37.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 22 May 2009 16:11:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>鳩ノ巣原理</title>
         <description>11羽の鳩が10個の巣箱に入った。どの鳩がどの巣箱に入ったのかは全く分からない、にも関わらず分かることがひとつある。少なくともいずれかの巣箱に2羽以上の鳩がいるということである。

これが鳩ノ巣原理。部屋割論法、抽き出し論法などと呼ばれることもある。ともすると当たり前に思える単純な原理であるが、何かの「存在」を示すのに意外と強力な武器になる。

よく使われる例だが「大阪市内には髪の毛の本数が全く同じ人が存在する」。にわかには信じられないような話だが簡単に証明できる。人の髪の毛の数はどんなに多く見積もっても20万本以下であることが知られており(平均10万本)、それに対して大阪市の人口は26万人(平成21年5月現在)。26万人の人を20万個の部屋に髪の毛の本数に応じて分類すればどこかに相部屋ができる。その相部屋にいる人の髪の毛の本数は等しい。

ただし、大切なことは存在が保証されるからといって実際にそういう2人を見つけ出し劇的な出会いをさせることは絶望的に不可能だということ(最もスキンヘッドなら話は簡単だが)。数学における典型的な「存在定理」だ。

バリエーションも簡単に作れる。10部屋しかないラブホテルに客が21人入ったとするなら、少なくともどこかの部屋がややこしいことになっている。

たった2つの数字だけでこれほどに妄想を膨らませることができる人間って素敵だ。いやほんと。

鳩ノ巣原理は人間のもつ最大の武器「論理」と「想像力」の巧みな融合である。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_36.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_36.html</guid>
        
        
         <pubDate>Fri, 22 May 2009 16:02:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>四色定理</title>
         <description>日本の47都道府県の地図を隣り合う部分が同じ色にならないように塗り分けるとき、何種類の色が必要だろうか。答えは四色あれば十分である。市町村まで細かく分割したらどうだろう。これも四色あれば塗り分けられる。実はアメリカ合衆国の50州だろうが、世界の200ヶ国であろうが、あるいはネバーランドの実在しない地図であろうが、平面上のどんな地図も四色あれば塗り分けること可能なのだ。塗り絵ができる子供なら誰でも気づくことができる程単純なこの法則は、しかし長い間誰も証明することができない難問「四色問題」として知られていた。

1976年にこの定理は二人の数学者によって証明され「四色定理」となる。しかしこの長年の未解決問題の解決を数学界がスタンディングオペーションで迎えたかというとそうではなかった。なぜならこの問題を解決したのは人の頭脳ではなくコンピューターだったから。

パターンをある程度絞り込み、それでも人の手で調べるにはあまりに膨大なしらみつぶしをコンピュータが行った。コンピュータがはじき出した答えはどれも塗り分けられない。晴れてこの定理は解決されたということである。

多くの数学者が感じただろうな。

なんか釈然としない。

ウルトラマンがスペシウム光線で怪獣をやっつけたときの爽快感がない。むしろ怪獣を撲殺したみたいな後味の悪さである。

それでも証明は証明。それでも恋は恋。でも気分的には認めたくない。今尚多くの議論を巻き起こし、別の意味で「四色問題」となっている。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_35.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_35.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 19 May 2009 19:44:44 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>有理数</title>
         <description>整数/整数という形の分数で書き表せる数のこと(もちろん分母は0であってはいけない)。

有理数同士の足し算、引き算、掛け算、割り算の答えはすべて有理数の中で調達できるという意味で、「有理数は四則演算について閉じている」という。

異なる長さの2本の棒があったとき、この2つの棒の長さの「比」は必ず2つの整数の比で書き表すことができるであろうか。できると考えるのが自然な気がするが、実は正方形の1辺とその対角線なんていうシンプルな図形の長さの比ですら、それが不可能であることに人類は気づいてしまう。長さという図形量に対応させる数として「有理数」という枠組みは不完全だったのだ。

ちなみに有理数は英語で「rational number」と言う。これを誰か偉い人が「理にかなった数」と訳し「有理数」と命名した。しかし上の説明からもつながるようにrationalは「ratio(比)がある」という意味でとるのが正しい。気づいたときにはもう手遅れなほど広まっていたのか、あるいは偉い人があまりに偉すぎて誰も言い出せなかったのか、この数学用語はいまや日本の数学界において最も有名な誤訳として定着してしまった。

関係ないが僕も大学のレポートを書いているときに「positive number(正の数)」を「積極的な数」と訳してしまったことがある。おそらくなんの躊躇もせず女の子の携帯番号を聞いたり、コンパの幹事を進んで引き受けてくれたりするような数なんだろうと。もし僕が数学界の重鎮であったら「積極数」「消極数」という言葉が定着していただろう。危ないところだった。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_34.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_34.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 19 May 2009 19:09:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>無理数</title>
         <description>有理数ではない実数のこと。

なんて書いてみたものの、高校数学の教科書で実数の意味を調べてみると「有理数と無理数をあわせたもの」って書いてある。

よく考えるとこれは説明になっていない。辞書で左手を調べたら「右手の反対の手」、右手を調べたら「左手の反対の手」って書いてあったようなものだ。もし本当にそんな辞書があったら欠陥品なのですぐに燃やしてしまって構わない。

この定義のいたちごっこは「実数って何なんだ」、詰まるところ「数って何なんだ」ってところに行きつく。この疑問は深い。深すぎてこの事典のキャパを超えている。

中学校でこの言葉を習ったとき「無理ならやめとけばいいのに」って突っ込んだ人も多いと思うが、これは誤訳された数学用語の一つ。詳しくは有理数の項を参照のこと。</description>
         <link>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_33.html</link>
         <guid>http://iky.no-ip.org/dictionary/2009/05/post_33.html</guid>
        
        
         <pubDate>Tue, 19 May 2009 19:08:25 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
