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帰納法

いくつかの具体的な事実から一般的な事実を導き出すこと。英語ではInductionという。

「この木にいる5匹のカブトムシの足の本数は6本である」という事実から、「すべてのカブトムシの足の本数は6本である」という一般的な事実を導くのが帰納法。数学者の立場からすればこれはあくまで経験的推測であり、数学的事実とは区別されるべきものである。実際、数学の歴史においては帰納的な考察により真であると信じられていたものが後になって間違いだったと判明したケースは数多くある。そんな痛い経験からか数学者は帰納的考察には病的なほど慎重になる。「森中のすべての木にいる1000匹のカブトムシの足の本数が6本である」と分かったとしても、1001匹目のカブトムシの足は7本かもしれないと考えるのが数学者なのである (羊のジョークを参照)。

ただし数学者が帰納法と全く無縁であるわけではなく、むしろ「一般化」にみられるような数学的な「思考」の中に帰納的な考え方は常に存在していると言える。

よく勘違いされることであるが「帰納法」と「数学的帰納法」は全く別のものである。「数学的帰納法」というのは自然数の公理に基づいたれっきとした「演繹法」であるから、「数学的帰納法」により導かれた事実は数学的に真であると言ってよい。

付け加えるなら数学以外のほとんどの自然科学の定理は帰納的に導かれるものと言えよう。例えば物理学においてティコ・ブラーエが天体の動きを観察して残した膨大な量の精密なデータからケプラーは帰納的に「ケプラーの法則」を導き出し、その法則からニュートンは帰納的に「力学の法則」を作り上げた。帰納法の怖いところはたった一つの反例がちゃぶ台をひっくり返してしまう可能性を常にはらんでいることで、実際にニュートンのくみ上げた堅強たる古典力学は 20世紀初頭に発見された反例によりその根底を揺るがされることになった。

反対語は演繹法 (Deduction) 。基本的に演繹により構築された数学は反例に脅かされる心配はなく、紀元前に作られたユークリッド幾何学は2000年以上たった今日もそして今後も真であり続けるはずだ。数学があらゆる学問の中で最も信頼されている所以である。