池田洋介日記帳
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2004年9月1日(水) 裏表
オリンピックが終わりましたね。毎回よくも悪くも多くの話題を届けてくれるオリンピックです。「平和の祭典」という名の華々しい立て看板の裏では政治、金、国家の思惑ときな臭いものが見え隠れするのもいつものこと。

オリンピックの最中にいろいろな人と話をすると
「オリンピックなんてどうせ国家の権力誇示のイベント。金があるところが勝つようにできてるんだよ。あんなものは見る気はしない。」
と否定的な意見をする人が少なからずいます。

まあそういう人の意見の真意を充分理解して上でそれでも思うのですが、この2週間にオリンピックを全く見なかった人はやっぱりもったいないことをしたのではないかなと?

だって柔道で終了1秒前の背負い投げ一本に絶叫したもん。体操の団体で着地が成功したときに鳥肌がたったもん。野口がスパートかけたときからテレビにかじりつき、ゴールの瞬間は涙がでたもん。確かにそれはマスコミが都合よく切り取ったきれいな側面に過ぎないのかもしれない。でも例えそうだとしてもそれをみて感じた心の震えは紛れも無く本物だし、そこから勇気をもらったのは確かなのです。それを否定する必要はないのではないかね。

何年か前少年ジャンプで人気のあったギャグ漫画家が買春の容疑で逮捕されました。僕は結構好きな漫画だったのですが、あっという間に本屋さんからその人の書いた漫画は撤収されてしまいました。もちろんそれは出版社としての正しい立場に違いありませんし、例え撤収されなかったとしても間違いなく売上は激減していたでしょう。あたりまえのことですが漫画家の人格がどうであれ、漫画自体の面白さが変わるはずがありません。でも昔は大笑いできた同じギャグを読んでもなんとなく笑えなくなってしまうのです。本当は楽しみたいけどそれを楽しむ自分を否定するような冷めた自分が顔をだします。全く同じものを鑑賞しても楽しめなくなってしまうのは、良い悪いではなく、やっぱりもったいないのです。

すべてのものには裏表がある。きれいな部分と汚い部分がある。どっちが嘘の姿でもなく、どっちが本当の姿でもなく、矛盾する2つの立場が両立しながら存在しているのがある意味この人間社会の有りよう。汚れた部分があるからといって全てを否定してしまうなら、高校野球だって、相撲だって、劇団四季だって、シルクドソレイユだって何も楽しめなくなってしまいます。そこはうまくモードチェンジをして楽しめるところは存分に楽しむのが有意義ではないかなと。

崇高な理想によって作られ、優れた人格の人によって演じられるくだらない芝居よりは、どろどろの世界から生まれた面白い芝居のほうが見る価値はありそうでしょ。
2004年9月22日(水) スト決行おおいに結構
世論調査でストを支持すると答えた人の2割くらいは週末に不本意な野球の延長で見たいテレビ番組をつぶされなくなってホッとしているアンチ野球派の人たちである。

間違いない。

なんで報道は日本全国民総野球ファンみたいなスタンスで報道をするのかね。週末に野球がなくなることを心から望んでいる人たちだって絶対いるはずだと思うんだけど。僕も野球が嫌いなわけではないけど毎日みたいとは思わないし、なんにせよ野球のテレビ中継だけがどうして後に控えるすべての番組を押しのけてしまうほどの権利を持っているのかが全く分からない。見たいドラマをビデオに録画しておいて楽しみにしながら再生したら突然バラエティー番組が始まったときのこの物悲しさをどうしてくれるのだ。一生懸命ドラマ制作に携わった人に対しても失礼なことですよ。(そういやごっつええ感じが終ったのも野球が原因ですよね。。)

野球がなくなったら子供たちの夢を奪う?

うぬぼれてはいけません。それじゃあバスケットやバレーを目指す子供たちの夢はどうなる。プロ野球偏重主義によって逆に夢を奪われている子供だっているんじゃないの。

と、ちょっぴり毒づいてみました。
yosuke@juggling-donuts.org
 
 
 

Akiary v.0.42