池田洋介日記帳
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2003年8月1日(金) はい、分かりました。
こないだタクシーに乗ったらラジオのAM放送が流れていました。(タクシーではAMを流さなければならないとタクシー協会では決まっているのか??)。聞くともなく聞いているとどうやら夏休みの特集で子どもの疑問、質問に専門家の先生が答えるという内容のもの。子どもと電話がつながっており、ザリガニの生態やなんかを先生が子どもにも分かる言葉で懇切丁寧に回答してくれていました。最後に進行役のお姉さんが「○○ちゃん、分かりましたか?」と聞くと「はい、分かりました。」という元気な答えが返ってきて、それが番組の1つの区切りとなります。

なかなか面白いなと思って聞いていると、4歳の女の子がこの番組でこんな質問をしてきました。

「どうして海の水は増えたり、減ったりするんですか?」

4歳ということもあり、先生もかなり苦労して言葉を噛み砕きながらその基本的な原理を女の子に教えていました。風船とか、綱引きのたとえ話をしながら説明するのですが、その女の子はどうしても「分かりましたか?」という質問に「はい、分かりました」とは言わないのです。先生の解説は確かに要点をとらえたよい説明だったのですか、女の子はどうしても先生の言っている内容が理解できないようでした。結局女の子は質問の区切りとなる「分かりましたか?」の問いかけに、まだ大きな疑問符を抱えたような弱弱しい「はい」で答え電話を切りました。

ちょうどこの辺りでタクシーが目的地についたので、その後番組がどのように続いたのかは知らないのですが、僕はこの女の子になにかとてつもなく共感するものを覚えてしまいました。おそらくこれが小学校高学年であったなら、先生の「月の引力が海水をひっぱっているんだよ。」という回答もすんなり受け止めてしまうのかもしれません。そしてひょっとしたらその後の人生、「潮の満ち引き」という現象になんの疑問ももたずに過ごしていくことになるのかもしれません。しかしよくよく考えればこれほど理不尽極まりない答えに、子どもがなんの疑問ももたず「はい、分かりました」と答えてしまうほうが僕はよほど不安を感じてしまうのです。

離れた物体が綱引きをするように引っ張り合うなど、まだ4歳の少女の世界観に相容れないものだったに違いありません。そしてある意味それは世界を自分なりに正しく認識している証でもあります。我々はいつの間にか地球と月が引っ張り合っていることを知っています。しかしそれをどれほど理解しているかと問われれば、実際のところ誰も何一つ理解していないのです。「それが常識ですよ。」と教科書に教えられたことを鵜呑みにし、分かったつもりになっているだけ。「はい、分かりました。」とは与えられた知識と自分の中の世界観を妥協させる実に便利な言葉です。

ガリレオもニュートンもアインシュタインも偉大な科学者は皆、この4歳の少女が感じたクエスチョンを大人になるまで、いや、死ぬまで持ちつづけ、「はい、分かりました。」という妥協をどんなことがあっても許さなかった人々です。我々が教育と呼ぶものが、子どもの持つクエスチョンの芽を、耳あたりのよい説明で摘んでしまっているとすればこれは本当に残念なことです。子どもの理数離れが叫ばれていますが、子どもの疑問に対して、ときにはクエスチョンマークをつけたまま返してあげることも教育するものにとって必要なことなのではないかと思いました。
2003年8月9日(土) 挑戦状
気づけばアンシンメTRICK公演まで3週間。たくさんの方々より応援や期待の言葉をもらってうれしく思っています。ようやく台本、曲のほとんどが完成して、あとは練習するのみ。実は今が一番精神的には余裕が持てる時期だったりするのです。これから通し稽古が始まるとどんどん追い詰められていって、日記書いているどころではなくなります。多分。

さてさて今回の作品なのですが、今この段階で皆さんにお見せできないのが残念!って思うくらい構成も曲も納得できるものに仕上がりました。今回僕が作った作品は計6本、もちろんすべて新作です。どれもこれも丹精こめて育て上げた我が子のように感じてしまいます。

JuggleLikeDancingファンはジャグリングショーを、ますだ美季ファンはミュージカルを期待して見に来ると思いますが、どちらの期待も裏切ることになってしまうかな。しかし例えそうだとしても結果的に誰もが満足してもらえる、そういう作品であると僕は信じています。小さくまとまろうなどとはこれっぽっちも思っておりません。見て欲しいのは技術ではなくアイデア。まだまだラフスケッチだけどやろうしていることは最高に面白いじゃないか。そういわれれば一番うれしいな。

あと3週間。この作品がどれほど僕の予想を越えたものになっていくかが楽しみでもあります。3人のエネルギーあふれる挑戦を是非見に来て下さい。
2003年8月11日(月) シンボル
まず下の記号を見てください

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この記号をみて、どちら向きの方向を感じるでしょうか?

おそらく8割から9割の人が左向きの方向を感じるでしょう。これは尖っているほうの先を釘やねじ、もしくは飛んでいる矢の先端とイメージしてみれば分かります。矢印(←)の記号も人間のもつこの自然なイメージを方向を表現するのに利用しているのです。

しかし残り1割から2割の人はこの記号をみて右向きの方向を感じるのではないでしょうか。何を隠そう僕もその一人です。ピンとこない人は例えばメガホンやスピーカーのイメージを頭に思い描いてみれば分かるはずです。音や波など広がりながら伝わるものは上の記号では右向きの方向を持ちます。数学で使う不等号や音楽記号のクレシェンドの捉え方はこちらのイメージに近いのではないでしょうか。

なぜこんなことを書いたのかというと最近僕がよく乗るエレベーターのボタンにこんな表記を見かけるからです。

>|<   <|>

左が閉まる、右が開くの表示です。ところが上に書いたようにイメージの持ち方によってはこの記号は全く逆の意味に取れてしまいます。僕はこの記号を見たときに瞬時にどちらを押すべきかが判別できなくなることがあります。もちろん僕のような見方は少数派かもしれません。しかしどちらかのボタンを押すことを即座に判断しなければならない状況はあるわけで、ときにはそれが身の安全にかかわることも考えると、この記号は100人が見て100人が同じ意味でとらえられるものであるべきです。直感に訴えて分かりやすくするための記号が、一部の人にとっては逆に分かりにくさを与えている一つの例でしょう。

しかし考えてみると記号というものには多かれ少なかれある種のステレオタイプなイメージが反映されるわけで、僕らが当たり前のようにみて判断している記号も別の文化の人から見れば全く意味が変わってしまうということもあるかもしれないです。例えばトイレの男女の分類をみてみるとほとんどの場合女性は赤色でスカートをはいた人、男性は黒い色でスーツを着た人が記号化されていますが、これも考えてみればずいぶん偏見に満ちた表現で、例えば服を着る習慣のない文化の人々や男性もスカートをはくような文化の人々にとってはこの記号は全く意味を持たないものになってしまうんでしょうね。

こんなことを考えながら日常生活で見かけるいろいろな記号を観察してみるのもなかなか楽しいです。
2003年8月17日(日) 好きなことについて
知っている人は知っていると思いますが、日本ジャグリング協会が出している「Shall We Juggle?」という日本で唯一のジャグリングの季刊誌があります。僕はその雑誌に1つ連載を持っています。「ひらめきの泉」というタイトルで毎回自分の好きな映画や舞台や本などを取り上げて、ジャグリングと絡めながらエッセイを書くというものです。

3ヶ月に1回だし、しかも自分の好きなことについて書くのだからいくらでも書けるだろうと最初は割と甘く考えていたのですが、これがかなり大変で、毎回のように〆切を破ってしまっております。つくづく思うのは

自分が本当に好きなことについて書くのは難しい

ということ。特に思い入れの強いものほど、どんなに言葉を選んでもそれは違うような気がしてくるのです。うーむ、難しいものです。今も書きたいことをひたすら打ち込んだ挙句、またまとまらなくなって休憩がてら日記を書いていたりするのです。

ちなみに今回のテーマは僕の大好きな「ラーメンズ」の舞台について。うーむ、苦悩の日々はもうしばらく続く。。
yosuke@juggling-donuts.org
 
 
 

Akiary v.0.42