池田洋介日記帳
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2001年11月5日(月) 僕も再開
久々の登場ですね。やっぱり日記にはなんでもいいから書かないと。

静岡から帰ってまいりました。今年も本当に夢のような4日間が過ごせました。大道芸を見ているとすっかり子供に戻ってしまいます。きっと目をきらきらと輝かせながら、見ていたに違いないです。

今年一番うれしかったのはパントマイムの山本光洋さんにニワトリにさせられたことかな。すっかりファンになってしまいました。ああいう大人になりたいって思いました。

シリウス、ロマノカーララは本当に圧巻。あれを見ただけでもあのフェスティバルに行く価値は十分あったね。歴代チャンピオンのスケートネイキッドとフライングダッチマンもさすがとしかいえません。本当に感動しました。

このような大道芸の土壌を培っている静岡の町も大好きです。このすばらしいフェスティバルがこれからもどんどん発展していくことを心から願っております。
2001年11月6日(火) Renegade Japan
ついにレネゲードが日本にオープンしました。今まで輸入していたジャグリングの道具が直接安く手に入るようになったというのはうれしい限り。今日はオープンパーティーということで西ノ宮にあるデイブさんのスタジオまで遊びに行きました。

商品の道具を勝手にいじったり、ビデオを見まくったりしてかなり楽しかったです。「To be the Best U」はもうすごすぎ。巨大ディアボロとかも欲しくなったな。

ドーナツのメンバーもたくさん来ていたけど、ニュートンさんとかビットさんとかサリバンさんとかキシタカさんとか関西のパフォーマーも大集合。いろいろな人と話せてとっても楽しいパーティでした。デイブさんが春にパフォーマーのコンベンションを企画しているということでその話も少ししてきました。これはぜひとも実現させたいですね。楽しみです。
2001年11月7日(水) ブラウザ
「全く明かりの当たらない部屋の中ではリンゴは何色をしているのだろう。」

これは哲学的な問いではなく、純粋に物理学的な問いです。であるにも関わらず、これはなかなか不思議な質問です。子供の頃この質問の答えを自分なりにいろいろと考えたことがあります。別に日の光の下であろうと真っ暗闇の森の中であろうと、僕らが見ていようと見ていまいと、赤いリンゴはいつも赤でありつづけるというのが僕らの感じている共通の認識です。でもよく考えると真っ暗闇の中でリンゴが赤いことをどうやって確かめることができるのでしょう。例え暗闇の中で、もしくは誰も見ていない森の中でリンゴがピンク色であると誰かが主張しても、それを否定する根拠は何もないわけですから。

高校で物理を勉強して、色の正体は実は光の波長であるということを学びました。光が物にあたり乱反射をし、特定の波長の光が目に入ると、目はその波長の違いを認識し、それを脳の中で色という概念に置き換えるわけです。そう考えるとそもそも光が当たらない世界では色というものは存在しないわけで、さらに面白いことに光の波長の違いを認識する脳の働きがなければやはり色というものは存在しないわけです。僕たちは色をまるで物体に張り付いている特性のように感じているわけですが、それは大いなる誤解ということになりますね。

人間はいわば脳というブラウザを通して世の中と接しているわけですが、僕がつくづく疑問に思うのは果たしてこの世の中の人すべてが全く同じブラウザを使っているのだろうかということです。そしてどう考えてもそんなことはきっとないだろうなと思うのです。例えば同じ色を見てAさんが赤(と僕が思っている)色だと感じ、Bさんが白(と僕が思っている)色だと感じたとしてもその違いを2人が認識することは原理上絶対に不可能なのですから。それほど極端ではないとしても人によって認識の違いは少なからず存在しているはずです。

そう考えると芸術って一体何なんだろうと思いませんか?
2001年11月8日(木) クリスマスソング
こないだのパーティでキシタカさんがウクレレでクリスマスソングの練習をしていたのに触発されて、久々にギターを引っ張り出してきました。

去年も同じことを書いた記憶がありますが、僕はクリスマスの歌はとっても好きです。何故だか分からないけどとてもわくわくするのですね。クリスマスは欧米の文化ですから、当然ながらクリスマスソングはすべて英語の歌です。つくづく思うのですが英語の歌はやっぱり英語で歌ったほうが気持ちいいのです。英語の持つ独特のリズムが心地いいし、英語歌詞を読んで改めて、ああそういうことだったんだって気づくこともたくさんあります。はい、それではちょっと気は早いですが、クリスマスソング英語歌詞VS日本語歌詞対決をしてみましょう。

例えば「サンタがやってくる」の歌詞。
You better watch out
You better not cry
Better not pout
I'm telling you why
Santa Claus is coming to town
サンタクロースがくるからよい子にしていないとだめですよって子供たちに語りかけているような感じの詩ですね。これが日本語になるとこうなります。
さあ あなたからメリークリスマス
私からメリークリスマス
サンタクロース イズ カミング トゥ タウン
はい、うすうすは気づいていましたが、いきなりつっこみどころが来てしまいました。っていうか、”あなた”って誰だよ(笑)突然新キャラクター登場です。

気を取り直して2番歌詞に。
He's making a list,
And checking it twice;
Gonna find out Who's naughty and nice.
Santa Claus is coming to town
そう、サンタはまめなのです。リストをチェックしてよい子のところにだけやってくるのです。悪いことをしていたらサンタはお見通しなんです。って子供たちに語りかけている詩です。

これが日本語になると
ねえ 聞こえてくるでしょう
鈴の音がすぐそこに
サンタクロース イズ カミング トゥ タウン
1番を余計なことに費やしたおかげで2番になっても基本的にはサンタがやってくるということしか言えていません。ちょっとこの先心配です。

いよいよサビです。
He sees you when you're sleeping
He knows when you're awake
He knows if you've been bad or good
So be good for goodness sake!
なんとサンタは寝たふりをしててもお見通し。だからちゃんとよい子にして寝ないとだめですよと子供たちに語りかけている感じの詩です。

はい、お待たせしました。日本語歌詞です。
待ち切れないでお休みした子に
きっと素晴らしいプレゼント持って
こらこら、英語の歌詞ではあれほどよい子にしてないとサンタはこないって言ってたにも関わらず、それには触れずじまいかよ。待ちきれないでお休みした子ってのもよく考えるとかなり現金なやつだな。

英語歌詞ではプレゼントをやるなんて一言も言ってないのもちょっと面白いね。

ちなみに日本語歌詞の一番のつっこみどころは歌詞の最後なんだけどね。
さあ あなたからメリークリスマス
私からメリークリスマス
サンタクロースがやって来た

もう来たんかい!!

2001年11月9日(金) 日本語歌詞の謎
昨日の続き

って昨日文章を書いていて思ったんだけど、英語の歌を日本語にしたものって結構意味分からないもの多くないですか。昔から歌っているんだけどよく考えたらなんのこと?ってやつ。多分昔のえらい人が日本語に訳したからなのかもしれませんが。

例えば「もろびとこぞりて」

もうすでにタイトルからして意味不明です。”もろびと”とか僕は誰かが普通に使っているのを聞いたことがないんですけど。それでまた歌詞がね。
もろびとこぞりて
むかえまつれ
ひさしくまちにし     
しゅはきませり しゅはきませり
しゅは しゅは
きませり
うーん、ほんとにこれは日本語なのか。”きませり”とか何活用かすらわかりません。”しゅは しゅは”のところとか歌っててちょっと笑ってしまうんだけど(ビールの泡か、おまえは)。

あ、ちなみに元歌はこちら
Joy to the world! The Lord is come
Let earth receive her King
Let ev'ry heart prepare Him room
And heaven and nature sing
And heaven and nature sing
And heaven and heaven and nature sing

もう1つ昔から疑問だったのが「雪山賛歌」
この名曲をゆっくり鑑賞しましょう。
雪よ岩よ われ等が宿り
俺たちゃ 街には
住めないからに
はい、みなさん3回唱えましょう。

住めないからに

気になって仕方がない。これどこの言葉ですか。最後のにをちょっと伸ばし目に言うと結構かわいいですね。ある意味コロスケが語尾につける「〜なり」と似たようなものだと推測します。

(用例)「ちょっと今日残業あるからにー」

あ、これ面白い。ちょっとはやるかもしれないからにー。
ちなみにこれも元歌載せとこうっと。
In a cavern, in a canyon,
Excavating for a mine
Dwelt a miner forty niner
And his daughter Clementine
"forty niner"とか出ているところを見ると、どうやらゴールドラッシュの時代の歌みたいですね。
2001年11月10日(土) 柿落とし
京都駅ビルのシアターが新装オープン(パチンコ屋みたいだな)するらしくて、しかもそこで最初に行われる公演があの劇団四季の「オペラ座の怪人」。これはぜひとも見たいってことで今日がチケットの発売開始だったので早速チケットを購入しました。

それはそうとポスターに「柿落とし」って書いたあったので「かきおとし」と読んだら、思いっきり馬鹿にされてしまいました。正しくは「こけらおとし」と読むそうで、新築劇場の初興行のことを指す言葉ということです(あれ?ひょっとして常識?)。

いや、でもこれはどっからどう読んだって「かきおとし」だろう。「柿」という漢字に「こけら」という読み方があるなんてことは聞いたことがないし、第一「こけら」の意味すらよく分かりません。ってわけで納得のいかないことは早速調べてみることに。こういうときインターネット社会の素晴らしさを実感できます。

で、驚くべき事実が判明!!

なんと「柿(かき)」という漢字と「柿(こけら)」という漢字は画数も異なる全く別の字だということが分かってしまいました。え?どうみても同じに見えるって?ふふふ、それはどうしてかっていうとね、コンピューターで使われている日本語のJISコードには「こけら」という漢字がないからなのであります。だから「こけら」で変換しても「かき」しか出てこないのです。で、実際はどんな漢字かっていうと、、僕の持っているしょぼい漢和辞典には載っていませんでした。第一、分かってもパソコンで伝えることは不可能です。自分で調べましょう。

でもきっとあのポスターも間違った漢字を使っていたに違いないから、やっぱりあれは「かきおとし」で正解なのです。なーんだ、読み間違えたのかと思ったじゃないか。ちゃんとした漢字を使ってたら「こけらおとし」って読んでやったのにね。ふん。

ちなみに「こけら」とは木材を削るときにできる木の細片のことだそうで、新築工事の最後に「こけら」を払い落としたことが語源のようです。ふーん、最近ようすけの日記も”あるある大事典”のようになってきました。
2001年11月11日(日) 喫茶店
最近やけに忙しいのです。といってもパフォーマンスの方ではなくて講師の仕事の方でね。気づいたら2月くらいまで講義予定がいっぱい。そのレジュメ作りにも毎日追われているのですが、さらに来年からは河合塾の講師もやれるように今勉強をがんばってます。2次の面接は通って、あとは3次の筆記レポート。これの締め切りが火曜日までなので、今日は朝から喫茶店にこもりっきりで作業をしていました。

街中の喫茶店はどうしてあんなに居心地がいいんでしょうね。そこで勉強したり、本を読んだりするのは家でひとりでいるときとはまた違ってすごく落ち着くのです。回りの雑踏の中で自分だけは別の世界にいるって感覚がとても好きです。ただあんまり長居すると店の人がプレッシャーをかけてくるのが嫌だけどね。わざとらしくテーブル拭いたり、、別にがらがらなんだからいいだろうとか思うのに。

最近僕の行きつけは新京極通りのSubwayです。2階の通りに面した側にカウンターのようになっているテーブルがあって、その隅っこに陣取ってホットカフェオレ一杯で何時間も過ごしてます。お店もそんなに混んでないし、店の人もほとんど2階には上がってこないのでとっても快適です。あ、それと最近はマンガ喫茶もかなりお勧めかな。何しろ時間分のお金を払ってるから誰にも邪魔されないし、24時間やってるし、静かだしね。

しかし今日一日頑張ったのにまだまだやるべきことは山積み、、これで現在僕は収入を得ているわけですし、教えるのも僕の大好きな仕事の1つですから文句を言ってはいけないのですけどね。でも正直やっぱりあんまり忙しくなるのも考えものかな。収入はそんなにたくさんでなくていいから、普通に生活できて、ちょっとずつ貯金ができて、それで自分の好きなことがたくさんできれば僕は幸せなのです。まあ、今でも十分幸せだけどね。ふふふ。もうちょっとしたらいろんなことを始めたいな。野望がいっぱい
2001年11月12日(月) 1週間連続達成
よし、日記、1週間連続記録達成。過去の日記を確かめてみたら現在僕の日記の連続記録は2000年12月16日から2001年1月3日までの19日でした。よし、これを超えるようにがんばろう。

日記を再開したらいろいろな人から反応があって、みんな結構読んでくれているんだなと改めて実感。感謝です!そういえばもうすぐこの日記が始まって丸1年が経とうとしてますね。ちょうど1年前の日記を読み返して、ああ、このとき僕はこんなことを考えていたんだな、なんて思えるのもなかなかよいものです。

日記を続けるコツはきちんとした文章にしようなんて思わないことですね。きっと。とにかくどんな些細なことでもいいから、ほんの1、2行でもいいから何かを残しておくこと。それが1年後、10年後の自分に何かを伝えてくれるかもしれないって思いながら。

だからみなさんも日記を書きましょ。
2001年11月13日(火) 飛行機事故
それにしても死者265名を出している旅客機の墜落事故がそれほどの大事件に思えないのはどういうことでしょう。テロの可能性が薄くなったとたんニュースでの扱いもかなり小さくなってしまいましたからね。情報の価値というのはそういうものなのでしょうが。

正直な話、まだ事件である方が救いがあるような気もしてきます。もしこれが本当に事故だとすれば、絶対に起こってはいけない時期に、絶対に起こってはいけない場所で起きてしまった事故です。これほど間の悪い事故も歴史上ないでしょう。テロならまだ航空業界は被害者であるわけですが、この事故で安全性の信頼までもが完全に崩れてしまったわけです。ただでさえ打撃を受けている航空業界に泣きっ面に蜂の追い討ちを与えることは必至でしょうね。

それにしても世の中がおかしくなってくると自分の正常な感覚すら麻痺していっているのを感じて少し怖くなります。
2001年11月14日(水) 
僕の日常生活は結構いい加減で、放っておくと熱力学第2法則に従って部屋はどんどん散らかっていきますし、布団は敷きっぱなしになっていることが多いですし、大事な用件や頼まれ事をよく忘れますし、やらなければいけないことを先送りにして、ぎりぎりになって慌てだすこともしょっちゅうです。幼い頃からの習慣というのは怖いもので直そうと思ってもなかなか直るものではないのですよね。つくづく躾って大切だなと我が身を振り返って思うのです。でもですね、僕が幼い頃からの習慣で身につけた数少ないものの中で今本当に感謝しているものが1つあります。それは"字をきれいに書く"という習慣。

パソコンでは僕の実際に書く字をお見せできないのが残念ですが、本気で僕が字を書くとかなりきれいですよ。自分で言うのもなんですが、これは結構自信があるのです。いわゆる"達筆"ではないのですが、"人に読みやすい字"だとよく言われます。昔から書くことは好きで、誰にも言われないのに本を丸写したり、自分で物語を作ったり、小学校で中指にペンだこができるほどたくさんの文字を書いていました。今から考えると字がきれいになったのもそのおかげなんだろうなと思うのです。

今はワープロやパソコンの世の中だから字なんてきれいにかけなくてもいいと考えている人はたくさんいるのですが、"字がきれいなこと"で僕が今まで得したことは結構たくさんあります。その代表が講師の仕事ですが、正直講師の評価の5割は板所のきれいさで決まるといってもいいのです。今僕が講師としていろんなところで仕事ができるのも半分は今まで字をきれいに書いてきたおかげというわけ。別に講師に限ったことではないわけで、字で印象が決まってしまうことって世の中でかなり多いと思うのです。例えば履歴書やテストの答案。変な話ですが、汚い字で書いてある答案は例え正しいことが書いてあってもどこか間違っているような気がしてしまいますし、きれいな字で履歴書を書く人はそれだけでしっかりした人間のように判断されてしまうのものです。僕のことを文通で知った人がいたとしたら、おそらく僕をかなり几帳面できれい好きで忘れ物なんて絶対にしない人だと思い込むに違いないですね。印象というのはかくも怖いものです。

誰が叩いても同じ文字が打ち出されるキーボードもいいですが、手書きの文字のやわらかい印象やそこから滲み出す個性とを僕は大切にいきたいですね。もし自分に子供ができたら性格はいい加減でもいいからせめてきれいに字を書くことだけはしっかり教えたいですね。
2001年11月15日(木) 続日本語歌詞
まあ前回はかなりおちょくりながら書きましたが、英語の歌に日本語の歌詞をつけるというのは本当に難しいものだとは思います。英語というのは非常にリズムに乗せやすい言葉で1つの音符に1単語(Word)を当てはめることが簡単にできるのに対して、日本語では1つの音符に1つの文字(Syllable)を乗せるのが精一杯です。たとえば有名なドレミの歌を例にとると 

ド レ ミ ド ミ ド ミ  レ ミ ファ ファ ミ レ ファ
ド は ドーナ ツ の ド  レ は レ  モ  ン の レ
Due a deer a fe- male deer Ray a drop of gol- den Sun

という具合で日本語は音に乗せられる情報量ではどうしても英語に比べて不利なのですね。でも決して日本語訳の歌が劣っているといっているわけではありません。数多くの英歌詞日本語訳の歌の中で僕は日本語の方が圧倒的に優れていると思う歌があります。

それはあの有名な「おじいさんの古時計」という歌です。

これは「Glandfather's Clock」というH.Cワークの作品が原曲なのですが(こちら参照)僕は長い間ずっと日本の歌だと思っていました(よく考えたら柱時計って日本のものではないですね)。そう勘違いするくらい日本語が見事に音に合っているのです。この曲のつぼは"ミミファミラ"というメロディーラインだと思うのですが、そこに「ふるどけい」「うごかない」という"泣かせ"言葉を乗せた訳者はすごいと思います。多分この曲を歌っていてほとんど人が胸をぐっとさせられるのはこのパートではないですかね。

それにも増して日本語の詩がまた素晴らしいのですね。英語の歌詞を見てもらうと分かるように「when the old man died」というおじいさんの死を意味する言葉が直接的に使われています。ところが日本語の歌詞(の1番)では死を直接意味する言葉は一度も使わず、同じことをきちんと表現してしまっているのです。これぞ日本語の奥ゆかしさだと思いませんか。情報量の少なさというハンディーを日本語という言葉のもつ奥深さで見事に克服し、そればかりかこの作品により深い味わいを与えた名訳だと僕は思います。

すべての人の心に染み入る僕の大好きなナンバーの1つです。
2001年11月16日(金) 歩くこと
僕は現在、週に2回、文教大学というところに講義をしに行っているのですが、この大学は近鉄の向島という駅から徒歩約20分くらいのところにあります。もちろんこの駅から大学までは無料の送迎バスが走っていて、ほとんどの学生はそれを利用しているのですが、僕は最近この距離を歩くようにしています。だって高々これくらいの距離にバスを待って乗るのもなんだか大げさな気がしてね。

僕は長い時間歩くことを全く苦痛に感じないのです。むしろ歩くことは大好きな部類の人間なのでしょうね。以前自転車を取られたことがあって3ヶ月ほど自転車なしの生活をしたのですが、そのときは大学と家の徒歩30分の距離を歩いていました。人に言うと結構驚かれたのですが、それでそのときはとりわけ不便を感じていませんでしたから。

歩いている間は別に何をしているというわけではないのですが、歌を口ずさんだり、いろんな考え事をしたり、お得意の妄想を膨らませたりしています。そんなことをしていると30分くらいの時間はあっという間に経ってしまって気づいたら目的地に着いているのです。行ったことのない細い路地を通ってみたりするのもちょっとした楽しみ。

こないだ静岡に行ったときは夜にあまりに暇だったので、夜中の街中を当てもなくふらふら2時間くらい彷徨ってました。見知らぬ街を夜に彷徨うのは本当に不思議な気分です。そこには街灯もあり、コンビニもあって、確かに自分のよく知っている世界なのだけど、同時にそれは自分がいるべきではない世界なのだという気もしてきます。そんな不思議な一体感と孤独感にゾクっとします。そんなときはきっと普段表に出ない裏池田(仮名)がちょっと顔をのぞかせたりするのです。
2001年11月17日(土) 星空
最近星空を見上げることが本当に少なくなりました。

小さい頃は田舎に住んでいたから、毎夜満天の星空がごくあたりまえのように見えていたのをちょっと懐かしく思い出します。小学校の頃"天体の不思議"(みたいな感じ)のタイトルの本を買って、その本に書いてあることが実際に夜空で繰り広げられることに感激しながら、寒い中いつまでも空を見ていた記憶があります。高校の友達といったキャンプで、必死になって流れ星を見つけあったこともあります。でも人が夜空に刻む思い出には楽しくわくわくするような心のときめきの中に、どこか寂しく切ない記憶がいつもついてくるのは不思議なものです。

ためしに星の輝きを5分くらい何も考えずにずーと見てみてください。すごく不思議な体験ができますよ。自分がいまここに存在しているということが信じられなくなってきます。まるで自分が宇宙の中心に置き去りにされたみたいにね。それはきっと僕たちの想像を超えた莫大な空間と時間の重圧なのです。そんな感覚はすごく好きです。そんな非日常的な世界がすぐそばに広がっていることを都会に住んでいるとついつい忘れてしまうんですよね。

今日はちょっと夜更かしをして星を見に行くつもりです。晴れてればいいけどな。
2001年11月18日(日) 君の瞳に恋している
今日の午後はCDレンタルショップに行って、CD探しをしておりました。僕が探していたのは"君の瞳に恋している(Can't take my eyes off you)"という曲が入っているCDです。この曲は題名を聞いてもあんまりピンとこないのですが、"♪I love you baby〜"というサビをきけば誰でも知っている超有名なダンスナンバーなのです。

まあ、そんなに有名なんだからすぐ見つかるだろうとたかをくくっていたのですが、僕もこの曲の題名はつい最近知ったばっかりだったのでCD屋についた時には題名をすっかり忘れていたのです。英語歌詞を読んでいたので"Can't take my eyes off you"というオリジナルの題名はしっかり記憶していたのですが、どうしても邦題名がでてきません。"瞳"がどうのこうのというとこまでは覚えてたんだけど、"瞳にくびったけ"とか"瞳は100万ボルト"とかわけのわからないのばっかりでてきます。しかも1回でてきたやつはなかなか頭を離れないのです(このイライラ感!分かるでしょ)。

なんとかしてこの曲のアーティスト名を知ろうと、店員に聞くことにしたのですが、ただでさえ知られていない題名をしかも原題で言っても店員には全く通じないのです。でもね、何度も言うけどこの曲は誰でも知っている超有名曲。さて問題です。こういうときなんとか店員にこの歌だと分からせるにはどうすればいいと思いますか。もう最後の手段ですよね。

歌って見せるしかないでしょ、、(涙)

いや、経験者だったらわかるよね。これは本当に恥ずかしいです。お店静かだし、女性ボーカルの歌だからちょっと声を張らないとサビを歌えないのです。まず軽く咳払いをして、周りのお客さんの目をちょっと気にしながら歌いましたよ。

♪I love you , Babyっていう歌なんですけど

いや、でもさすがストリートボーカリストの私です。ちゃんと分かってくれました。で、その店員曰く

「あ、それ聞いたことある曲ですね。でも題名までは分からないです、、、、」

俺の努力を返せーーーーーーー


くそ、もう絶対三条河原町のTsutayaには行かないぞ。

ちなみにその後出町柳のTsutayaまではるばる行ったのですが、そこはコンピュータでちゃんと管理されていて、原題でも1発で目当てのCDを検索してくれました。これぞITの世の中ですよ。でも、やはりCD屋の店員なら有名曲のタイトルやアーティスト名は何でも知っているというくらいのプロ意識はあるべきだと思うんだけどな。まあ、人前で歌うときは相手をちゃんと確かめたほうがいいということは身にしみました。
2001年11月19日(月) youthful days
言わずと知れたMr.Childrenの新曲。実は昨日三条のジュージアではじめてちゃんと聞いたのですが、ちょっとぐっときてしまいました。。僕が熱烈なミスチルの信者であることを差し引いても、これは名曲ですね。桜井さんの伝家の宝刀のファルセットをこころにくいほど使ったサビがすごいです。今日は"Hey Hey Hey"と"アンティーク"でミスチル三昧でした。

クリスマスシーズンでユーミンのベストとか、桑田さんのシングルとか買いたいCDが一杯です。
2001年11月20日(火) 公正とはなにか
ネタに困ったときはネットで面白いニュースを探すのにつきますね。
高校サッカーのこの記事はなかなか面白いです。
抽選で痛いミス
本抽選の前に主催者サイドは予備抽選を行って各校のくじの順番を決めるが、松商学園を「富山県代表」と記載してしまっていた。そのため14番目に抽選する予定だった松商学園が順番を飛ばされ、終了間際になって各校の順番がずれていたことが発覚した。「公正を期すために」と高体連サッカー部の上野二三一部長は途中からの抽選のやり直しを決定した。
なにが面白いかっていうと赤字にした抽選のやり直した理由の部分ね。

「公正を期すために」

これはいったい何の公正を言っているんでしょうね。もし「確率的な公正を期すために」と言っているのならこれはちょっとばかり疑問ですぞ。なぜなら「くじびき」というシステム(非復元抽出)においてくじを引く順番というのは確率的な不公平をもたらすことはないというのは数学的事実だからです。案外知らない人は多いんですけどね。「残り物には福がある」なんて言葉もありますが実際はこれもあくまで迷信の1つ。この抽選ではわざわざご丁寧に予備抽選までやってくじの順番をきめているみたいですけど、数学的に言えばあいうえお順であろうが都道府県の北からの順番であろうが、もっといえば誰かがくじをハイハイと適当に配ろうが確率的な不公平は全く生じないのです。

これはほとんど感情的な議論なのですよね。きっとこの抽選ではくじを引いてすぐにその結果をアナウンスし、ボードに学校名を書き込んでいくという形式だったと思うのです。そうなると例えば最後になって強い高校の対戦カードしか残っていなかったりすると"もしもっと早くくじを引けていれば対戦相手に恵まれたかもしれないのに、、、"と不公平を感じることもあるかもしれないのです。ただ実際はこれも錯覚に過ぎないわけです。早い段階で引いて強い相手と鉢合わせてしまう確率も、最後に強制的に強い高校に当てられてしまう確率も実は全く同じです。

人間は感情の生き物ですから抽選を最初からやり直した高体連の立場も分からないでもないのですが、「人間が何を公平と感じるか」は決して数学的な話だけで片付けられることではないというのがなかなか興味深いところなのですね。
2001年11月21日(水) デビュー
今日はちょっとすごいお仕事をしてきました。

なんと森本先生関係の話でオリックスブルーウェーブの懇親会で歌を歌ってきたのでーす。今まで弾き語りはやってましたが、こんなちゃんとした場所でしかもお金をもらう仕事として歌を歌うのは初体験。なかなかどきどきな一日でした。なんたって周りは歌を歌うことにかけてはプロ中のプロですよ。そんな中でこんな素人に毛が生えた程度の僕がいて本当にいいのかって感じ。しかも振付けつきで、歌詞も覚えなきゃならないし。あー、もう必死。

本番は19時30分からで、昼の12時くらいからずっと歌と振りの練習。あ、でもすごく楽しかったです。うまい人と一緒に歌を歌うってすごく気持ちいいのですね。自分もうまくなった気分になって。本番はあっという間に過ぎちゃったって感じだけど、とりあえず足は引っ張らなかったかな?兎にも角にも池田洋介26歳、歌のお兄さんデビューしちゃいました!ふふふ。

懇親会にはオリックスの選手や監督も来ていたのですが、いかんせん野球のことを全く知らない僕には選手を見ても誰なのかさっぱり分かりません。きっとプロ野球をよく知っている人がみたら"なんてもったいない"って言われそうだけど。でも僕から見たらプロ野球選手もなんかヤンキーのお兄さんみたいにしか見えなかったんだけどね。みんな、華やかなショービジネスの裏側は結構怖いぞ。
2001年11月22日(木) 感受性
ぱさぱさに乾いていく心を人のせいにはするな
自ら水やりを怠っておいて


「自分の感受性くらい」っていう詩の一節です。(参照)

茨木のり子さんという人の詩なのですが、今でも僕の大切な"心の詩"の1つです。この詩に出会ったのは中学校の頃。実は金八先生3の中で金八先生が生徒にこの詩を朗読するシーンがあったのですが、それを聞いたとき涙が出るほど感動してしまって、すぐにノートに書きとめたのを覚えています。でも実は"感受性"という言葉の意味はそのときはよく知らなくて、詩の本当の内容はあまりよく分からなかったんだけどね。

"感受性"っていうのは辞書によれば"外界からの刺激を深く感じ取り、心に受けとめる能力"ということらしいです。"能力"っていうけどきっと誰もが子供のころに持っていたあたりまえのものなんだよね。夕日や星を見てきれいだと思ったり、失恋してご飯が食べられないくらい落ち込んだり。でも人間ってだんだん刺激にも慣れてくると、それに対して自分の心を開けることをしなくなってしまっていくのです。大人になっていろんな人やいろんな物事に接するようになると、いちいちそれに対して反応していたらとてもじゃないけど生活していくことができないからですよね。

だからちょっとずつずるくなっていくのです。ちょっとずつ人に嘘をついて、ちょっとずつ自分にも嘘をついて。そんなのよくあることさ。それはそういうものなんだよ。あたりまえ。しょうがない。"うれしい"だとか"かなしい"だとか"せつない”だとか、この年になってそんな感情を並べるのは陳腐で馬鹿馬鹿しいこと。そうやってあらゆる物事を相対化して、斜に構えて捕らえようとする自分がいるのに気づきます。そんなときこの詩の一節が僕をガツンとしかってくれるのです。

「感受性」は年とともに衰えていくのは仕方のないことです。でもそれを自分から封じ込めてしまうほどばかばかしいことはないのだな。とくに何かを表現するという仕事に関わっている人ならなおさらのこと。"感じる"ことは心への水遣りです。もし心が感じることをやめたら、水を与えられない心はいつか枯れて死んでしまうのです。

傷つくことだって多いんだけど、何歳になっても子供のままの気持ちを無くしてはだめだよん。
2001年11月23日(金) 名前
3日前の日記でこの記事を取り上げました。。
抽選で痛いミス
本抽選の前に主催者サイドは予備抽選を行って各校のくじの順番を決めるが、松商学園を「富山県代表」と記載してしまっていた。そのため14番目に抽選する予定だった松商学園が順番を飛ばされ、終了間際になって各校の順番がずれていたことが発覚した。「公正を期すために」と高体連サッカー部の上野二三一部長は途中からの抽選のやり直しを決定した。
みなさん、すいませんでした。この記事のポイントを僕は間違っていたようです。確率とか公正とかそんなことはどうでもいいのです。僕は当然つっこまなければならないところをすっかり流してしまっていたのであります。

...高体連サッカー部の上野二三一部長は...

僕はショックを受けました。

横線だけで名前が書けてしまう人間が世界にいたなんて、、、!

しかもみんな驚いてください。おそらくこの人は世界でもまずいないであろう

名前がジャグリング可能な人なんです

いや、いや、すごい。きっと子供の頃は"にさんいち"とか"にひゃくさんじゅういち"とか言われたんだろうな。数学で231という答えがでてきた瞬間にクラスで苦笑が起こったりしたんだろうな。でもこの人はすごいよ。なんたってこの名前のハンディーにめげず部長という地位に上り詰めたわけですからね(笑)。

この文章を書いててふと思い出しました。数字の名前と言えば中学校の英語の先生で"五十二"とかいて"いそじ"先生という人がいたな。生徒からも親からも"こじゅうに"先生と呼ばれていましたけど。でもその先生は"昔は変な名前で嫌だったけど、大人になってこの名前が自分の個性のように思えてきて、今では大好きな名前です。"って言ってました。ふーん、でもきっとそういうものなんだね。

ところでさ根本的なことなんだけど

この名前ってなんて読むの?

2001年11月24日(土) 防犯
夜道を歩いていると、家のそばを通るとき突然玄関の明かりがつくことがありますね。人をセンサーで感知して自動的に電気が入るようになっているらしいです。これは防犯の意味もあるそうで、確かに泥棒が家に忍び込もうと玄関に近寄って突然電気がついたら、びっくりして逃げてしまうかもね。そういう点では効果てきめんという感じなのでしょうが、、、、はっきり言って何も悪いことをしていない善良な市民である僕にとっては

心臓に悪いっちゅうねん

こないだ夜道を歩いて帰っている途中、3回くらいドキッとさせられました。
2001年11月25日(日) NF終了
今年のNFもなかなかの盛況のもと終わることができましたね。僕は今年は某Wセミナーに仕事を嫌がらせのように入れられてしまってあまり参加することができなかったのがとても心残りなのですが、参加したみなさん、お疲れ様でした。

毎年思うけどNFにくるお客さんはとっても暖かいです。多分お祭りという雰囲気がそうさせるのでしょうけど、多少失敗が多くても最後まで見守ってくれていますし、終わった後投げ銭を入れずに帰ろうとする人はほとんどいませんでした。常連の人たちの顔も結構あって、この大道芸がNFの1つの顔として定着してきているのかなと感じました。

人が大道芸をしているとき演者の側に回って、お客さんの顔を観察するのは本当に勉強になります。その芸の質を計るバロメーターは集まったお客さんの数もそうかもしれませんが、やはり一番はその表情なんです。例えば"笑い"にしても「本当に心のそこから爆発してくる笑い」、「ここは笑わなければならないところだろうから笑っておこうという笑い」、「おいおい、それは違うだろうという笑い」といろいろあります。"拍手"や"手拍子"にしても同じですね。

大道芸はお客さんが主役だとよく言います。でも主導権を握っているのはあくまで演者でなければならないと僕は思うのです。これはもちろんお客さんに対して高圧的な態度をとるということではありませんよ。例えばクラウンは客に"笑われる"というキャラクターを演じます。ところが実際"笑わせる"のはクラウン自身であり、実は場の雰囲気を引っ張っているのは演者に他ならないわけです。気が付けば観客はすっかりその雰囲気に引き込まれてるんですね。そういうとき打算とか義務からやってくるのではない"心からの笑顔"がそこにあります。

何十回かに1回、大道芸をやっていて本当に自分が観客の心をつかみ、その場の空気が一体になっていると感じる時があります。"大道芸の神が降りてくる瞬間"ですよね。これを一度味わっちゃうともう大道芸からは抜けられなくなるんだな。多くのプロパフォーマーがイベントの仕事をもらうようになっても大道芸をやめないのはきっと同じ理由なんです。
2001年11月26日(月) アドリブ
アドリブって実は音楽用語なのですよ。ラテン語のad libtum(自由に)から来ていて、譜面と異なる演奏をすること、その場でメロディーを作りあげることを指すのです。ブルースやJazzではコード進行がかなり厳密に決められているので、それをいかにかっこよく聞かせるかはまさにアドリブのよしあしにかかってくるというわけなのです。

楽譜屋さんにいけばギターやピアノのインプロヴィゼーション(即興)に関する本はごまんとあって、それを開けばこれまた数多くのフレーズ集が載っています。ただ僕はこれを見て一抹の疑問を感じたのです?

"即興"なのにあらかじめフレーズを練習するのはおかしいのでは?

でもよくよく考えれば当たりまえのことなのですよ。即興と言ったって、ただ適当に音符を並べていいわけはないのです。コードやスケールを無視した音は不協和音になってしまうだけで、下手をすればせっかくの曲を台無しにしてしまうのです。かっこいい音を鳴らしたければどんな音を鳴らすべきかという理論をしっかり研究しなければいけませんし、どんな即興の名手だってあらかじめ何百、何千というパターンを繰り返し練習し、そのストックを持っているはずなのです。だから即興とはその場で曲を作る才能というよりも、自分の持っているストックからいかにその場の雰囲気や自分のフィーリングに最適のものを選び出すことができるかという技術なのだという気もしてくるのです。

演技においてもアドリブという言葉はよく使います。これも音楽と同様にあらかじめ決められた台本から離れて、その場の雰囲気にふさわしい台詞を作ったり、違った動作をすることですよね。大道芸ではアドリブの占めるポジションというのは本当に重要だと思います。なぜならお客さんとの距離が近い大道芸では思わぬハプニングや客の予期せぬ行動はいわば必然的なものですらあるからです。そういうときにアドリブがドンピシャではまると本当に面白いのですよね。

音楽同様、大道芸のアドリブだってやはり普段の研究と努力の賜物なのだと僕は思います。普段の会話の中でも面白い切り返しを考えてみたり、人の芸やテレビのバラエティー番組を見て「今のはこう返したほうが面白いだろうな」とか考えたり。それは自分の日本語の表現の幅を広げていくトレーニングでもあるわけです。そういうトレーニングを僕も普段から意識してやっていこうかなと思っています。
2001年11月27日(火) 神戸
京都、大阪、神戸とまさに3都を又にかけて活動している今日この頃ですが、考えてみれば特にこの1週間に4回も神戸に行っておりました。昔は神戸というとむちゃくちゃ遠いというイメージがあったのですが、不思議に京都から阪急で行くとそんなに遠いところという感覚がしないのです。

京都、大阪、神戸という3大都市はそれぞれに味わい深い個性があって、独特の匂いを持っているのは面白いですね。僕の勝手なイメージで例えれば大阪は真夏の昼のイメージ。天保山で灼熱の太陽の下、大道芸をした印象がかなり強いのでしょうか。大阪のお祭りは夜であってもそれは昼の延長のような賑わいがあります。京都は秋の夕方のイメージ。なんとなくお寺の鐘が聞こえてきそうでしょ。ギターを持って木屋町で歌っていた頃の夕暮れのあわただしい人並みなんかが頭に浮かんできます。

それで神戸はというとまさに冬の夜のイメージなのですね。これはやっぱり夜景の印象が強烈なんでしょう。今日、神戸の街を歩いていたらいたるところでクリスマスのデコレーションや電飾を見つけました。梅田のMBSの前にもきれいな電飾のアーチができているのですが、近くにゲームセンターやパチンコ屋もあって人通りも多くてすごくにぎやかな感じ。それに対して神戸の電飾には不思議な静かさがあるんだな。商店街からそれた細い道の途中にある落ち着いた雰囲気の喫茶店の前に可愛らしいクリスマスツリーが置いてあって、それがなんとなく心をホッとさせてくれました。

今年も神戸はそろそろルミナリエの季節ですね。
2001年11月28日(水) たのしまNIGHT
初めて出演してきました。ちょうどアトリエ劇研くらいの小さな場所で、パフォーマーたちがいろいろな新ネタを持ち寄って発表するという感じです。ステージ作りから関わることができてすごく勉強になりました。

さてさてパフォーマンスの方はというと今回は久々のソロネタ。JLDではなくて池田洋介としての出演なのです。どのくらい久々かというと、、、ちゃんとしたネタを作ってステージで発表するなんてのはひょっとしたらあの伝説の

4ボールジャグリーーング!!

以来ではないかというくらい久々なのです。しかもジャグリングスペシャルだというのにほとんどジャグリングをせず、パントマイム中心の手順だし。実はかなり緊張しておりました。

今回はなかなか気合入れましたよ。なんたってBGMは全部自分で作ったもんね。今の世の中パソコンを使えばかなり思い通りの音楽が自分で作れます。パフォーマンスありきでそこに音楽をつけていくので、音楽と動作ピタリの演技が可能なのです。

今日のできなのですが、、練習時間がまだまだ足りず、100%満足のいく演技はできませんでしたが、そこそこの手ごたえは感じました。これからどんどん改良を重ねればさらに面白い手順ができると思います。乞うご期待!

で、今日の最大の反省としてはやっぱりコーディネイトだな。衣装も重要な演技の要素だし、僕の中でもいろいろイメージはあるのですがそれを形にする方法を僕は知らないのです。だれかコーディネーターになってくれないかな。あとステージでやるならちゃんとメイクも勉強する必要がありますね。照明なんかもね。そういうところにこだわっていけるかがやはり一流になっていくためには不可欠なことなのでしょう。

勉強することはまだまだたくさんあります。でもこれも楽しいです。
2001年11月29日(木) 恐怖のウィルス(あくまで推測)
最近僕の周りでいろんな人が風邪を引いています。今年の風邪はみんなのどをやられていますね。講師をしている僕としてはかなり気をつけないと。僕はあらゆる風邪の菌を寛大に迎え入れてしまう性格なのですが、不思議なことに今シーズンはまだ風邪は引いておりません。

で、その代わりなのかどうかしりませんが数日前、家のパソコンが噂のウィルスに感染してしまいました。僕も怪しい添付ファイルなどは絶対に開かないようにしているのですが、今回のウィルス(ワーム)はOEのプレビューでも感染してしまう悪質なタイプで、それに見事にやられてしまいました。二日ほど気づかなかったのでもしかしたら誰かに被害をもたらしているかも。もしいたら本当にごめんなさい。

対策としてはとりあえずOEのプレビューをさせないようにして、怪しいメールは開封しないようにしております。ちょっと不便だけどね。でもね、最近本当に怪しいメールが多いのよ。この間来たメールのタイトルがまたすごいのですよ。

全裸盆踊り大会のお知らせ

うん、送信者不明のこのメール。誰がどう考えても

あやしすぎ

もうこんなメールは削除するに限ります。削除ボタンを押してっと、、、

でも、気になる

気になってしょうがない。なんたって全裸でしょ。しかもそれが盆踊りでしょ。もしかしたら本当に誰かが誘ってくれているっていう可能性もなきにしもあらず。。そうだとしたら無視するのも悪いよな、、。ちょっと見るだけなら、、

って危ない、危ない。もしこれがウィルスで"全裸盆踊り大会というタイトルのメールを開封すると感染しました"なんてことになって、池田がジャグリング界に"全裸盆踊り大会のお知らせ"というタイトルのメールを撒き散らしたてことにでもなった日にゃ、これまで築きあげてきた僕の地位や名誉が危ういじゃないか。削除です。迷わず、削除ボタンっと、、

全裸盆踊り大会のお知らせ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜池田想像図〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 アハハハハ   全裸
       全裸  全裸   アハハハハ
アハハハ 全裸      全裸
    全裸 ○ 全裸
     全裸      全裸
       全裸  全裸
         全裸    アハハハハ


〜〜〜〜〜〜〜(タイトル:王侯たちの宴)〜〜〜〜〜〜〜

いかん、いかん。ついトリップしてしまった。

はい、削除です。削除。26歳にもなってこんなことで反応してしまった自分がちょっとだけ悲しくなった物思いの秋です。

P.S(あとで慌ててつけたし)
断じて池田洋介はアダルトサイトを徘徊しているとかいうことではありません。いやこれだけは本当に。誤解なきよう。
2001年11月30日(金) ジョージハリスン
今日インターネットでこのニュースが目に飛び込んできました。

ジョージ・ハリスン氏が死去

本当に悲しいニュースでした。大切なものが消えていくような気分です。

ビートルズとして活躍していたときのことしかしらないわけですが、彼の作った曲には大好きなものがたくさんあります。ビートルズといえばレノン/マッカートニーのクレジットで発表された曲がほとんどだったのですが、そのたくさんの名曲の中にあっても数少ないジョージの曲が圧倒的な存在感を持っているのがすごいところです。「Here Comes the Sun」「While my guitar gently weeps」「Something」などどれをとっても今でもまったく色あせることない名曲の数々ですね。

本人が死んだときにアーティストの曲は注目を集めますが、これからちょっとしたジョージハリスンブームが起きるのかな。うーん、それも複雑な気分です。
yosuke@juggling-donuts.org
 
 
 

Akiary v.0.42