池田洋介日記帳
バックナンバー

2001年8月13日(月) なくしもの
ひさびさの日記だね。最近精神的にも肉体的にも超多忙な毎日です。でも今日ちょっと僕を元気にしてくれる出来事がありました。

話はさかのぼりますが、僕はちょうどドーナツライブの頃にメガネを無くしてしまっていたのです。会場に置き忘れたと思って探したのですが見つかりません。メガネがなくてもなんとか生活していけるのですが、やっぱり映画を見るときなどにはないと困ります。新しいのを買おうにもお金がないし、しかも誕生日プレゼントにもらったやつだし、、、ああ。

でまあ、それから4ヶ月たってもどこにも見つからず事件はすっかり迷宮入り。メガネのことはすっかりあきらめていたのですが、、、なーんと今日

見つかったのです

しかも思いもよらないところから。ドーナツライブの頃にメガネが無くなった理由、何故4ヶ月の間どこを探しても見つからなかったのかという理由、そして何故それがJJF直前の今になって見つかったのかという理由が全て合理的に説明できました。さあ、いったいどこで見つかったのでしょう。正解はCMの後で。

/////////////////CM/////////////////////

ちなみにこの日記はこの日に書きかけたまま忘れていたのを、JJFが終わって落ち着いた8月24日に改めて書いております。

提供は池田洋介、協賛ミニパラッパ
でお送りしています。

///////////////////////////////////////////

さあ、どこで見つかったかというと、、、その前に重要なヒント。僕はドーナツライブやJJFのような重要なイベントの前にやる事があります。それはなんでしょう。

答え 床屋さんに行く

そう、今日もさっぱりしようと床屋さんに行ったらいきなり床屋のおばちゃんに「これあんたのちゃんの?」とメガネを差し出されたのです。それは紛れもなくこの4ヶ月間探していたメガネ!思わぬ再会に猛烈に感動してしまいました。もう分かると思いますが、僕はドーナツライブの当日の朝にこの床屋で散髪をしたのです(そんなのすっかり忘れてたよ)。そのときメガネをおばちゃんに預かってもらっていたのですが、それをうっかり忘れて帰っていたらしいのです。おばちゃんは僕の連絡先が分からないので、とにかく次に来た時に渡そうとこの4ヶ月の間そのメガネをずっと大切に保管しておいてくれたのでした。

なんか無くしたと思っていたメガネが見つかったのも嬉しかったけど、僕はその床屋のおばちゃんの心遣いがもっと嬉しかった。たまってた疲れが一気に飛んで元気になったよ。本当にありがとね。おばちゃん!

メガネをかけて世の中がちょっぴり明るくなりました。
2001年8月24日(金) つっこみ
前前からこの日記でつっこんでやろうやろうとは思っていたのですが、なかなか機会がありませんでした。ネタの少ない今の時期にやるべきことはちゃんとやっておきたいと思います。

僕の家の近くの100円ショップダイソーがあるのですが、寺町商店街の真中にあるためかこの店の前に駐輪する人が結構いるのですね(僕もしょっちゅうしています)。それが交通の邪魔になる(というかそもそも寺町通は自転車通行禁止なのですが)という苦情を受けたのか、店の前にこんな張り紙が貼られていました(ちなみに手書きではなくちゃんとPOP調にプリントアウトされいます)。

警察の指導により
この店の前には駐輪できません。
移動
されられても
当店では責任を負いかねません。

(太字原文まま)
「されられても」とかは細かいですが、"ちょっと慣れないことを言ってみたら噛んでしまった"っていうあどけなさが感じられ、そこそこ語感もいいので僕的にはGoodです。まあさりげない微笑みスポットということで、こういうところに突っかかるほど僕は大人気なくはないのですが、、え、問題はこの後です。

「責任を負いかねません」
あら、あら2重否定してしまいましたよ。ってことはこういうことですね。

責任を負う:すべての責任を負ってあげますよ。だってお客様は神様ですからね。

->これをやんわり否定

責任を負い兼ねる:さすがにそこまでの責任をとるのはためらわれますね。それは当店とは一切関係ないですから自分のことは自分でやってください。

->これをさらに否定

責任を負い兼ねない:さすがにそこまで責任はとれないよ、、、だって自分の事でしょ、、、うーんでもな、、こっちに責任ないともいえないしな、、ひょっとしたら取るべきなのかな、、あー分かったよ、取るよ、取ればいいんでしょ。

なんだダイソーって薄利多売なだけかと思ってたら

その上結構いい奴じゃないか

さすが庶民の味方です。

かれこれもう1ヶ月以上あのままなんだけど、誰か指摘してやれよ。え、僕がやれって?いや僕は面白いので別にこのままでいいです。はい。
2001年8月29日(水) 1+1は何故2になるの?
もうそろそろ忘れている人も多いかもしれないので、この辺で確認しておきますが僕の大学時代の専攻は数学です。これをいうと妙に納得される事もあるし、意外に思われることもあります。河合塾で英語の質問に来る生徒にこのことを言うとたいていかなりビックリされますね。英語の教師は絶対数学なんてできないという先入観をどうやらみんな持っているらしいです。

で、ですね、「数学を専攻している」というと非常に多くの人からされる質問が2つあります。そのうちの1つが表題に書いたやつ。たいてい飲み会とかでおちいりがちな会話で、文科系の女の子とか、ちょっと数学をかじったことのある男とかに多いです。

「大学の専攻はなんなんですか?」
「数学です。」
「うわー、難しい事やっているんですね。ところで私は前からずっと疑問に思っていたんですけど、1足す1はどうして2になるんですか。

聞かれるたびに内心「うわ、でた!」と思ってしまいます。よく本のタイトルとかキャッチコピーで「1+1を3にする発想」とかいう表現を見かけますし、どうやら世間では1+1が2である事を型にはまった常識の代表選手のように捕らえているらしいです。その影響からか、この質問を何か重大で哲学的な問だと思っている人は結構いるのですね。断じて言えますが、この質問をする人は絶対こんなことを「前前から疑問に思って」はいないですし(本当に思っていたらそれも怖いですが)、ちゃんとした解答があるとも信じていないでしょう。単なる話題提供とか、まあちょっと根本的な質問をして僕を困らせようとか言う意図です。

まあ、もちろん僕もこの質問に本気で答えるほど大人気なくはないので
「うーん、どうしてだろうね。長く数学を勉強していてもそれだけは分からないですよ。ははははは」
といって和やかにその場を切り抜けます。

でもですね、あんまりによく聞かれるとたまに真剣に答えて相手を困らせてやろうかと意地悪な心が芽生えてしまうときもありますね。そもそも

「どうして1+1は2になるんですか」

という問はナンセンスな問なのです。そのナンセンスさに多くの人が気付いていません。例えば

「どうして富士山はにわとりと比べてゴッツチュビチョバなんですか?」

って聞かれたら誰でも「は?」って思うでしょ。ちょっと待て、どうしてとか以前に「ゴッツチュビチョバ」ってなんやねん、それを説明せいよ、、っとだれもが突っ込むわけです。これと同じこと。だから先の数学の根源的な問に対する最も効果的な(そして本質的な)切り返しはこうなんです。

「説明してもいいけど、その前に"足す"って何?それをまず説明してくれないと1"足す"1がどうして2になるかなんて説明できっこないでしょ。」

はい、正論です。まずこの質問に答えられる人はいないですね。でも実際はこっちの方がずっと本質的な数学的な問になるわけです。この質問に対する1つの答えは「"足す"とは演算の1つであり、演算とは2つの数に対して1つの数を対応させる写像である」となります。写像とはもっとわかりやすい言葉にすれば関数ということ。僕たちは1+1なんて書き方に慣れていますのでこんな事はまったく意識していないのですが、本来は+(1,1)=2みたいな書き方をした方がずっとピンときます。もちろんそんな写像はいくらでも考えられるのですが"足す"とは"使いやすいいくつかの性質を持つように定めた"特別な関数といえるのです。これから先は代数学の話になっていきます。

だからみなさん、数学系の人たちを本当に困らせる質問をしたいなら「どうして1+1は2になるんですか」と聞くのは止めてください。そのかわりこう聞いてあげましょう。

「1+1=2になるんですけど、そもそも"足す"ってどういうことなんですか?」
2001年8月30日(木) 何のために数学を学ぶの?
せっかくですから数学の話題を続けましょう。

前回の日記で"「数学を専攻している」というと非常に多くの人からされる質問が2つある"と書きましたが、もう一方がこの質問。これは昔塾で中高生に数学を教えていたときに、生徒から本当によくされた質問の1つです。小学校の算数、例えば四則計算や割合の計算、速さや面積、などは誰もが必要だと感じる実学です。でも中学,高校になって因数分解やら三角関数やら微分積分やらが教科書に登場し、それに頭を抱える年頃になると「なんでこんな面倒な事を勉強しなければいけないんだ!」と誰もが感じるのです。

何のために数学を勉強するのか?

これは前回の禅問答のような質問に比べて遥かに重要で意味のある質問です。仮にも数学教師と名乗る身分の人であれば生徒が当然持つこの質問に対して誠意を持って対応するべきですし、ちゃんと生徒の納得のいく答えを用意しておくべきです。でもね、これってやはりなかなか難しい質問なのですよ。僕も未だに誰もを納得させる事の出来る簡潔な答えをもてないでいます。

もちろん数学が世の中でどれほど役に立っているかというのを説明する事は簡単です。例えばパソコンの世界はまさに数学の支配する世界です。微分積分がなければ人類は月にいくことはできませんでしたし、確率統計の理論の発達が天気や経済の先行きを見通す事を昔より格段に可能にしています。携帯電話もTVも冷蔵庫も、耳にするポピュラーミュージックもコンビニのおにぎりも、およそこの世の中のもので数学の恩恵を受けていないものはないといっても過言ではありません。でもこれらをいくら並べて見せても生徒たちの疑問の答えにはなっていないのです。結局彼ら、彼女らが言っているのはこういうことなのです。

「将来私は技術者になるつもりも、経済学者になるつもりもありません。ごく普通に働き、生活していくつもりです。普通の暮らしをするのに今私がやっているこの難しい式変形や、三角関数の合成や、部分積分や、メネラウスの定理が何の役に立つのですか?そんなものを知らなくたってちゃんと立派に生活していくことはできるじゃないですか。」

さて、皆さんならどう答えますか?

もちろんこれに対する僕の考えはあるのですが長くなりそうなので、とりあえず今日の日記は問題提起の形で終わっておくことにしましょう。
2001年8月31日(金) 夏の終わり
昨日の夕方の土砂降りが夏の終わりを象徴していた気がしますね。あれほど暑かった今年の夏も名実ともに今日で終わりを告げるわけです。幾つになっても8月の最終日はなんとなくもの寂しいものですね(おそらく日本全国の小学生も同じことを考えているはずです)。

本当に今年の夏は思い出深いものになりました。7月から8月にかけてあまりにいろいろなことがあったからね。やっぱり一番の思い出はJJF。この日記ではほとんど触れませんでしたが、このフェスティバルを運営していろんな人と出会い、今まで知らなかった経験をたくさん出来た事はとても大きかったです。BrianPatzさんみたいな世界的なジャグラーと個人的に仲良くなれるなんて、フェスティバルを主催していなかったらとてもじゃないけどできることじゃないですよ。大変なことや辛いこともたくさんあったけど本当に素敵な3日間でした。

この夏、個人レベルでも僕はすこし大きくなったのでしょうか。まあ客観的にみれば僕を取り巻く状況は全く変わっていないのですけどね。でもね、なんとなくいろいろなことが少しずついいほうに向かっている予感。新しい事が起こり始める予感。そんな期待を胸に、池田洋介は成熟の秋に向かいます。
yosuke@juggling-donuts.org
 
 
 

Akiary v.0.42