池田洋介日記帳
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2001年5月2日(水) フェロー日記
今日もフェローのお仕事でした。
連休中だったせいか、4人しか質問に来なくて大変ヒマヒマでした。

1人の人が参考書を持って質問に来たのですが、その参考書の中にこんな問題がありました。

次の文章の誤りを訂正しなさい。
He is a man who I thought to be an honest.

えっと、どれどれ、意味としては「彼は私が誠実だと思っている男です。」ってことだよね。で、間違いは・・・、って思っていろいろ考えたのですが、知っている知識を総動員してもこの文章の間違いらしき点は見当たりません。フェローがあまり分からないと言うことを認めてはいけないのですが、分からないものは分からないのでここは素直にギブアップして答えを見てみることにしました。で、答えは

解答
who→whom

・・・
ちょっと答えを見て凍ってしまいました。ついに出たって感じですね。恐るべき受験英語。こういう参考書が大手を振ってまかり通っているのが、日本の英語教育が散々叩かれている最たる原因だと思うのですが、さすがにこれはいかがなものでしょうか。

関係代名詞に導かれている文章は
I thought a man to be an honest.(SVOC)
ですから先行詞a manはこの文章の目的語。よって関係代名詞whoは目的格のwhomを取らなければいけない。これが受験英語の絶対の論理です。でもねえ、、、断じて言えばいまどきこんな言い方をするネイティブは100%いない。whomなんて実際のところほとんど忘れ去られているような言葉で、この状況ではどんなに丁寧に言っても元の文章のようにwhoを使うだろうし、さらに言えばここは関係代名詞がなかったほうがずっと分かりやすい文章になるところです。

まあ、仮に100歩譲ってwhomを使うのが正しいとしましょう。でもwhoを使っても誤りでも何でもないのです(むしろその方が普通だし、それはちゃんと辞書にも書いています)。この問題の怖いところは受験英語の論理に合わないものは、どんなに一般的だろうとお構いなしに"誤り"だと言い切ってしまっている点。この問題を間に受けた受験生はこのカビの生えたような関係代名詞を妄信的に使わされることになりますからね。こわ〜、、、

しかもひどいことにこの問題は実際の受験で使われた問題だってこと(大学名書いてあったしね)。受験問題は受験生を測る物差しであると同時に、大学を測る物差しでもあるんってことを、問題作る人は考えているのかな?
2001年5月4日(金) モスバーガーの誇り
四条河原町のあたりにマクドナルドとモスバーガーが数軒ほど離れて隣り合っているところがあるのですね。そこを昼間に歩いたのですがお客さんの入りには歴然とした差があるのでちょっとビックリさせられます。マクドナルドはもう大混雑。3列くらいに7人ずつ位の列ができていて、カップルや学生たちが順番を待っています。かたやモスバーガーはお客さんは全くいなくて、店員がちょっと寂しそうに立っていました。

同じファーストフード店としての商戦では圧倒的にマクドナルドの勝利です。徹底的に「マクドナルドは安い!」というイメージを定着させ、各週で代わる新商品やマスコットで消費者を味方につけた戦略は見事ですね。白状すると、僕も最近はかなりマクドナルドにお世話になっております。

おそらく今日も急ぎの用事がなければ少々並んでも昼食はマクドナルドにしたでしょうが、梅田にいくのにかおりJRと待ち合わせをしていたので、久しぶりにモスバーガーに入ることにしました。マクドナルドでは550円でセットが食べられますが、モスバーガーではセットでも600円以上とかなり割高です。でもそれは仕方がないのでそのセットの1つを店内お召し上がりで注文したのですが、その時店員の口から出た言葉に僕は正直感動してしまいました。

「お2階のほうは満席になっておりますが、1階のカウンター席でよろしいですか?」

何でもないような言葉なのですが、マクドナルドでは店員は絶対にこんなことは言わないです。実際マクドナルドでは注文して2階に上がったのはいいけれども食べる場所がなくて途方にくれてしまう事はよくあります。マクドナルドに限らずほとんどのファーストフード店で売上の妨げでしかない「満席」という言葉は禁句になっているに違いないのです。その代わりに食事を済ませたと思った客は強制的にトレイを片付け、無言のプレッシャーをかけて客の回転を早くしているのです。

でもモスバーガーのこの当然ともいえる客への心配り、なるほどこれがモスバーガーの誇りなのだなと感じました。気を付けてみると店の隅々にも客への気配りが感じられます。例えばカウンターの椅子全て背もたれが壁がわに向けられています。お客さんが座りやすいようにという配慮でしょう。モスバーガーは注文を聞いてから作り始めるらしくでてくるまでに結構時間がかかります。しかしこれもできたてを食べて欲しいという気持ちの表れと思えば全く気になりません。しかもマクドナルドを食べなれた僕にとっては信じられないくらい味がおいしいのです。ハンバーガーを食べて心からおいしいと思ったのは久しぶりでした。

この時代、安易な営利主義に走ることなく、客への配慮を守り、味へのこだわりを続けるこの店の方針は貴重だと思いませんか?もちろんマクドナルドのやり方を批難するわけではありませんが、やみくもにマクドナルドの方針を後追いしている他のファーストフード店とモスバーガーが一線を画している理由がはっきり分かりました。

それを思うと最初に感じた2つの店の客の入り状況に何かやるせなさを感じてしまうのです。
2001年5月9日(水) 日記
ちょっと今第2次日記ブームかも。いつの間にか4位になってた。あら、Astroさんも5位ですねえ。最近忙しいですか。

予定ではこないだのモスバーガーの続きで文章を書いていくつもりだったのですが、それはまた次回からにしましょう。今日はこの日記について。この日記も始めて5ヶ月近くが経っているのだけど、途切れ途切れながらもよく続いているものだとちょっと感心します。我ながらね。

僕はよくいろんな気持ちが沸き起こってきた時に文章を書くことで自分の考えを整理しようとしている気がします。毎日30分間パソコンの前でいろんな言葉を綴っているとなんとなく気が落ち着いてくるのですね。それは素の自分であったり、少し飾った自分であったりするけど、そんなことはどうでもいいことで、ともかく物事を整理して自分の中で納得するのはとても大切な事なのです。

そしてもう1つ大切な事はこの文章は必ず誰かに読まれるものだと言う事。考えてみれば人が言葉を綴るのは、例えそれがどんなに私的なものであれ、その文章を残すためであり、そして最終的には誰かに読まれることを期待しているからなのです。もしそれが30分後に消滅してしまうことが分かっているようなものなら誰もそこに文章を書こうとは思わないでしょう。アンネが絶望的な状況の中暗い部屋で綴った日記でさえ、そこには誰かに読まれることへの予期が間違いなくあったはずなのです。それは不特定多数の"誰か"の時もあれば、特定の"誰か"である場合もある。もしかしたらそれは自分自身かもしれない。そんな"誰か"の心に届くようなさりげない暗号を散りばめながら人は文章を綴っていくのです。
2001年5月10日(木) またやってしまった
はい、またです。もうネタにもなりませんが、また大きな忘れ物をしてしまいました。今度はいつもジャグリング道具を持ち歩いている大きなかばん。名古屋に行く時に一緒に持っていったやつです。昨日そのかばんを探していて部屋のどこにもかばんが見当たらないのに気が付きました。

もう僕もだいぶ要領を飲み込めてきたので、皆さまの参考になるようこういうときの対処マニュアルを教えましょう。まずこういうときは最後にそのかばんを見たのはいつかを考えます。僕の場合は間違いなく名古屋から電車に乗る時には持っていた記憶があるので亡くしたのはそれ以降ということになります。ってことは一番考えられるのは帰りの電車のどこかに置き忘れたと言うことです。ただここで大きな疑問が。ということは僕はその日、そんな大きなかばんがないのに気がつかずに家に帰り、眠りについたのだろうか?一体そんなことが起こりえるのだろうか。

ここでシャーロックホームズが「4つの署名」という作品の中で言った有名な台詞が頭に浮かびます。「全ての可能性を捨て去った時、最後に残るもの。例えそれがどんなに突飛なものであろうと、それが真相に違いない。」

そう、とても考えにくいことですが、全ての事実がその日僕が電車にそのかばんを置き忘れたことを指しているのです。

そうと決ったらまずは電話です。ただ電話する前に次のことを確認します。
・自分が帰ってくるまでに乗った電車の時刻表
・自分が乗った電車の車両番号
これらはインターネットを調べれば簡単に分かります。次にどこに電話をすればいいかですが、ここが間違えやすいところです。電話をするのは必ずその電車の終着駅、もしくは車庫入れすることになっていた駅の忘れ物係です。但し2,3日がたっている場合は京都や大阪の忘れ物センターに届けられてしまっている可能性もありますので注意です。

電話をしたらその電車の時刻と車両番号を伝え、自分の置き忘れたものの特長を詳細に伝えましょう。かばんの場合は色、大きさ、中身などを伝えます。

かくして僕のかばんは米原駅で発見され、大切なジャグリング道具は今日無事に手元に届けられたというわけです。荷物を受け取る時忘れ物センターのおじさんが言いました。

「こんな大きなものを忘れるなんてよっぽど疲れてたんだね。」

ふふ、甘いなおじさん。僕は置き忘れただけでなく置き忘れたと言う事実に丸一日気付かなかったのさ。レベルが違うよ。レベルが。

うーん、だんだん自分のこの恐るべき才能が怖くなってきたね。
2001年5月12日(土) ギター
かなり久しぶりにギターの弦を張り替えてギターを奏でてみました。最初はぎこちなかったけどやってると少しずつ指が動き出してきていい感じ。ギターを生まれてはじめて手にして、弾き方も分からないのに指でジャラーンと鳴らしてみたときの新鮮な喜びがちょっと蘇ってきました。

そうそう、もう誰も覚えていないだろうけれどずーと前にストリートミュージックについての日記で「弾き語りをしていた頃の忘れられないエピソードがある」って書いたんだけど、今日はこのことについて書こうかな。あれは2年前の4月。ちょうど桜の頃で、僕がはじめて京橋の駅前で弾き語りをしたときのエピソードです。実はこのとき個人的に日記をつけていて、その時の日記が残っているのです。だからその日記を以下に引用。

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1999.4.6
今日は始めて京橋に歌いに行った。たくさん人だかりができて、何重もの輪の中で一人座って歌っているのは最高に気持ちよかった。

でもさすが大阪、ガラの悪い人たちも多く、外人の露天商がやくざがらみで脅してくるし、うるさいんじゃと叫んでお金を投げつけて行く人もいた。極めつけは6時頃にもう終わろうと思ってお金を片付けていたら一人のおっさんが近づいてきてわけのわからないことをいって因縁をつけてきて、殴りかかってきた。

さすがにヤバイなと思っていたら、今まで関心なさそうに座っていたお客さんが突然集まってきた。おばちゃんやお姉ちゃんは黙って散らかったお金を拾い、若いお兄ちゃんは男を取り押さえてくれたり、警察を呼んでくれたりした。そこにいた全員が僕を守って、優しい言葉をかけてくれた。警察までも「お兄ちゃん、がんばりや」と声をかけてくれたのだ。何故だかすごく感動した。歌や曲がそこにいた見ず知らずの人たちを僕に結びつけてくれたような気がする。歌を歌うことの責任って重い。路上でのパフォーマンスの怖さと素晴らしさを同時に思い知らされた。

久しぶりに心が揺り動かされた気がした。ストリートライブを続けていて本当によかった。
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ありがちなエピソードかも知れないけど、僕にとっては今思っても心が振るえるほどの経験ですね。
2001年5月14日(月) 新携帯Get
名古屋から帰った頃からどうやら僕のぼろぼろ携帯が壊れてしまったようです。もう2年前くらいの機種だし仕方ないかな、ってことでこの機会に機種変更する事にしました。

でも一番安いやつでいいや。だいたいどうせメールもインターネットもパソコンからできるんだから、わざわざ携帯なんかでする必要ないでしょう。着メロなんて何和音だろうと所詮なったらすぐ出ちゃうんだしね。無意味、無意味。そんな感じでサービスセンターに行ったのですが、いやはや最近の携帯はすごいですね。一番安いやつでもカラー液晶で、しかもメールもインターネットもできてしまうのですわ。しかも折りたためるのです。折りたたむ時に「カチャ」と心地よい音を立てるのです。例えていうなら炊飯器のふたや電子レンジの扉をあけるときのあの抵抗感。マイルドです。しかも着信4和音が出せてしまう!あのゲームウォッチの音のような薄っぺらいミッキーマウス行進曲とはおさらばできるのです。何々、もうちょっとお金を足せばさらに16和音もでてしまうの?しかもダウンロードもできてしまうの?もう最新ヒット曲の数々ですよ。さらにお金を足せばゲームまでできてしまうの?もうこれでデートの待ち時間も全く気にならないね。ほうほう、さらにお金を足せば

、、、

おっと、いかんいかん。危うく浅野忠信の戦略にはまってしまうところだった。

結局初心貫徹で一番安い折りたためるやつに落ち着きました。でもついにメールできるようになったもんね。携帯にメールがくるとまたいい音がするんだな。

まあ、どうせパソコンでもできるんだけどね、でもね、でもね、、、
2001年5月17日(木) プロとアマ
今僕はパフォーマーの仕事を少しずつやってはいますが、収入のほとんどは予備校のバイトから得ています。プロのパフォーマーというのがパフォーマンスだけの収入で生活している人のことだとすれば、僕はプロのパフォーマーではないということです。

「将来プロを目指してるんですか?」ってよく聞かれるんですが、この質問にどう答えるべきか僕はいつも悩みます。今の段階で答えを言えといわれれば、「No」でしょうね。もちろんパフォーマンスをする事に関しては一生涯関わっていきたいと思いますが、パフォーマンスの収入だけで生活していくつもりは今のところ全くありません。おそらくこれからもメインの収入はパフォーマンスとは別のところで得ていく事になるでしょうね。

「パフォーマーならパフォーマンスだけの収入で自立してこそ本物だ」という意見は一理あるのですが、それはあくまで結果的な話でなければならないのです。素晴らしいパフォーマンスを作り上げ、それが世間に認められてその結果としてある程度の収入を得られるのであれば、それは望むところであるし、最も理想的な形でしょう。でももし収入を得ること自体がパフォーマンスの目的になってしまったら、決してそこからいいものは生まれないと思うのですよ。

なぜならパフォーマンスでお金をもうけようと思ったらそのための安易な道はいくらでもあるから。ひねた言い方をすれば少なくとも今の日本でお金を儲けるのに優れたパフォーマーである必要は全くないのです。それで一旦ある程度の収入が約束されてしまえば、もうそれ以上上達しようとは思わなくなる。それなりの報酬をもらって仕事をする以上新しい手順を試したり、画期的なことに挑戦するような冒険ができなくなってしまう。そんな構図があるんですね。それなら利益とかそういうものに縛られずいろいろな方向で創作的な(時にマニアックな)ものを作ろうとしているアマチュアの方がよほどパフォーマーとしてのポテンシャルを秘めているのではないかと思ってしまうのです。

お金を儲けようとする事が不健全だとは決して思わないですが、客受けを目指すだけが良質のものを作る事ではないかなと、この間のマクドナルドとモスバーガーの話からふと思ったりしたわけなのです。若いうちならやっぱりいろいろなことに挑戦してみるべきかなって。失敗してもいいからいろいろ作ったり、いろいろ壊したりしてみたらいいかなって。そんなことが許されるアマチュアのパフォーマーでしばらくはいようと思う次第なのです。
2001年5月19日(土) JAM
昨日カラオケに久々に行ったのですが、イエローモンキーの「JAM」という歌の中にこんな印象的な一節がありますよね。

「外国で飛行機が落ちました、ニュースキャスターは嬉しそうに、乗客に日本人はいませんでした、、、」

まあ、さすがに"嬉しそう"にはしないと思うけれども確かに外国で事故があると必ずニュースキャスターは最後に「乗客に日本人はいない模様です。」とか言いますね。これを聞いて「日本人さえ事故に巻き込まれていなければそれでいいのか!」と批難する人が必ずいます。でもね、考えてみればこれって当たり前の事ですよね。それでは何か?外国で事故が起こるたびに報道機関はその事故の犠牲者の名前と国名の全てを逐一に報告しなければならないのか?どう考えたってそんなことは不可能です。

報道というのは「それを聞く人が最も関心を持っていることをいち早く正確に伝える」義務があります。日本のニュースを見るのは言うまでもなくそのほとんどが日本人です。外国で事故があったとき、もし現地に家族がいたり、旅行している知人がいたりした場合、そのニュースを聞いた人にとって最も気になる事は「自分の知っている人がその事故に巻き込まれたのではないか。」ということです。そういう人たちのとってニュースキャスターの「乗客に日本人はいない模様です。」という一言はまさに救いの言葉になるわけなんです。もちろん外国の知人もいるかもしれないし、日本に住む外国籍の人もいるかもしれませんが、そういうとき"最大公約数的"な情報だけを取捨選択しなければならないのは報道の宿命ともいえます。

一見不公平に見えることも、よくよく考えれば合理的な理由があるものなんです。でも、考える過程を吹っ飛ばして安易な感情的批判をしてしまうことはよくありますよね。

例えば車でいつも走っている道でスピード違反を取られたり、駐車禁止のキップを切られたときに、「いつもと同じことをしているのに、どうして今日だけ違反を取るんだ。大体こんなことは他の車だってしょっちゅうやっている。不公平じゃないか!」っと警官に突っかかっている人はよくいますが、これだって上と同じような感情的批判に陥っています。僕に言わせればちゃんと合理的な理由があると思いますが。それに関してはまた今度。

なんにせよ批難する時こそ慎重になり、相手の立場にたって物事を考えることが大切なんですね。
2001年5月20日(日) 大文字山越え遠足
本日はドーナツ登山部隊初のイベント。大文字山を越えて滋賀県に抜けよう遠足を実施した。如何せん、道も分からずどれくらい時間がかかるのかも分からない出たとこ勝負の企画なので今回は有志5人での決行となる。

天気は快晴。朝、眠い目をこすりながら起床。

集合は8:00、時計台前。
ちなみにこの時間この場所にいたのは池田と松永の2人のみ。

8:02 隊長松田、電話により起床。もちろん遅刻決定。
8:04 田久到着。澤口未だ連絡とれず。
8:12 ようやく澤口から電話。もちろんこのとき起床。もちろん遅刻決定。

波乱尽くめの中、ようやくスタート。コンビニでおやつを買う。

9:17 大文字山登山口に。
毎年恒例第123回3文字しりとり大会実施

9:40 大の字に到着。
晴れ渡った青空に京都市内が一望できる絶好のスポット。何度見てもこの光景は心が洗われる。なんとこのとき自転車で数人の若者が山を登って来ている。どうやら同じルートを通って自転車で滋賀県に抜けるつもりらしい。上には上がいるものである。

9:50 大文字山山頂に向けて出発。
田久早くも疲れている。毎年恒例古今東西"国の名前"をするも途中から誰も前の人が言った国名を覚えておらずゲーム不成立。

10:05 山頂到着。
簡単なベンチがあるだけの意外とこじんまりとした場所。松田が持ってきたロープで毎年恒例綱引きバランス大会とジャグリング縄跳び大会。松田得意の"海老結び"を披露。

10:30 山頂出発
道は一転、下り坂。杉並木を抜けていく。途中何度も分岐点があり、不安になりながらも隊長の指示を信じて前進。無事車の通る道に抜ける。あいうえお古今東西は"食べ物の名前"と"学校に関係のある言葉"で意外に盛り上がる。"る"で始まる食べ物は最後まで見つからなかった。皇子山カントリークラブを抜け、近江神宮の方へ。そろそろ12:00も回ってお昼の時間だったので皇子山古墳に登ることにする。

12:47 皇子山古墳到着。
こちらは琵琶湖岸を一望できる見晴らしのいいスポット。世界で一番おいしい遠足の後のお弁当とおやつを堪能。その後、第1回かん蹴り大会。古墳の真中に缶をおき、周りの林に身を潜める。これがむちゃむちゃ楽しい。もう子供のように林の中を身を潜めて駆けずり回ったり、木登りしたり、さながらベトナムゲリラ部隊。ここはさすが池田洋介。一度も鬼にならず、2回缶を蹴るという偉業を達成!

14:15 古墳出発
途中皇子山の公園で"大津っ子まつり"というイベントを発見。なにやら怪しげな歌が聞こえ、皆踊りを踊っている。おう、これぞ滋賀県というのを見てしまった。琵琶湖岸ではまだ冷たい湖に飛び込む小学生の集団を見て、ちょっと幸せな気分に。

15:45 湖岸を歩いて大津港に到着
さすがに疲れて眠くなったのでモニュメントの陰に腰を下ろしてお昼寝。これがまた気持ちいい。みんなの声がどこか遠くで聞こえている気分。気付いたら1時間くらい寝ていた。松田や田久は湖岸ジャグリングを堪能中。松田はダルメシアンをロープで作った罠にかけようとするが失敗に終わる。

18:00 大津港出発
浜大津駅近くの爆旨ラーメンを食べ、京阪で帰路につく。電車の中では恒例絵しりとり大会が開催される。東山で降り、平安神宮の横を通過し、時計台に向けて最後の遠足。最後まで気を許してはいけない。あいうえお順古今東西"大切なもの"では珍回答続出。最後に"平和"は大切だということで満場一致でこの遠足を締めくくる。

久しぶりに子供の頃に戻ったみたいで、楽しかったね。
でも何度も言うが家に帰るまでが遠足だということを忘れずに。
2001年5月23日(水) 目に見えるもの
昨日ニュースステーションで三重県の航空事故の話題を取り上げていて、その事故の原因として「Collision Course(衝突経路)」の説明をしていたのを興味深く見てしまいました。簡単に説明すると2つの物体が1点に向かって異なる方向から等速度で進み、かつそこに同時に到着する(つまり衝突する)という状況が生まれた時、動いている点に乗っている人はお互いの点がまるで静止しているかのように錯覚してしまうという現象です。

例えば見通しのよい交差点に2つの自動車が90度の角度をもって、同じ速度で同時に交差点に到着するタイミングでやってきたとき、一方の自動車からはもう一方の自動車が常に斜め45度の地点に静止しているような錯覚が起こってしまうのです。これ自体はベクトルを使って相対速度を考える事で簡単に説明できる事なのですが、面白いのはこの現象が起こったとき車に乗っている人は斜め45度にある車の存在を"認識する事"ができなくなるというのです。目には見えているのにそれが自分が衝突するべき危険なものだという認識ができず、結果的に見通しの良い交差点で衝突事故が多発するという信じられないことが起こってしまうのです。

人間は目に見えるものを全て認識しているわけではないのですね。だから明らかに目で見えているものがある状況下に置かれた人にとっては"見えなくなる"っていう不思議な現象が起こります。

なんでこんな事を書くのかって言うとね、この間のかん蹴り真剣勝負でこれを実感してしまったからです。かん蹴りは普通のかくれんぼと違って隠れつつも鬼の様子をうかがわなければならないという駆け引きがあります。それで澤口さんの日記にあるように1度木の上に隠れてみたのです。木といってもほんの2mくらいの高さでしかも枝の間はがらがらだから、ほんの少し顔を上げれば誰でも簡単に目に入ってしまうような場所(実際田久には丸見えだったらしい)。当然、僕には鬼の松田が丸見えなのですが、それが松田には気付かれないんですよ。これはちょっとビックリしました。松田が何度も僕のすぐ下を通ったりして、明らかに松田の目には入っているはずなのに松田の意識には見えないんですね。誰かから身を隠すコツは体の全て隠してしまうことではないんですよ。これって結構暗示的だね。"意識の死角"に入ること。これができればあなたもかん蹴り上級者の仲間入りです。
2001年5月24日(木) 入学試験
昔やっていた日本テレビの人気番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」の第何回かで、〇×クイズの問題の答えに誤りがあったことがずっと後になって分かった事があるのを知ってますか?ということはその回にアメリカを横断した果敢な挑戦者たちもその回の栄えあるチャンピオンも実はみんな本来は敗者だったわけなのです。でもね日本テレビは別にこのことについて謝罪はしなかったし、誰もやり直しを求めたりはしなかったです(あたりまえですが)。そんなことがあったってこの回のチャンピオンの栄冠はなんら傷つけられるものではなかった。なぜって?だってこのクイズはそのキャッチフレーズでちゃんと言っているでしょ。「知力、体力、時の運」ってね。

山形大学で合否の判定ミスがあり、本当なら合格しているのに不合格とされた人が過去4年間で400人を超えているっていう話がニュースを賑わしています。(ってことは本当なら不合格なのに合格になっている人も同じくらいいるってことですね。)原因はコンピュータのプログラムミスだとか。そんな単純なミスでいろんな人の人生が変わっちゃうなんて面白いね。

入試の合否判定なんて本来非公開のもので、大学の中だけで処理されているものだから今回のことも大学が認めなければ誰も気付かなかったわけですね。それをちゃんと認めてしかも不合格になった受験生に救済措置を施そうとしているんだから山形大学もなかなかの誠意を見せているといったところなのでしょうが、僕にとってはこれはどうも釈然としないのだな。

いや、もちろんこれが入学式前なら分かるのです。浪人を覚悟した受験生にとってはまさに降って沸いたようないい話で、大喜び。ってところなのでしょうが、、ねえ、もう5月末ですよ。大型連休も新歓コンパも新入生の楽しいイベントもみんな終わってるって。他の大学に行って楽しいキャンパスライフを過ごしている人もいれば、一念発起で来年の受験に向けて頑張っている浪人生もいるでしょう。いまさら「間違ってました、ごめんなさい、合格ですから是非入学してください」って言われても、もうそれは余計なお世話なのではという気がしてしまうのですが。もし僕ならそんな中途半端な入学はしたくないし、合格の喜びはやっぱり合格発表で味わって新しいスタートを切りたいと思うはず。

入学試験が真の学力を判定しているなんていうのはとうの昔から幻想なわけで、当日の環境とか感情とかどうしようもない運みたいな要素が絡みながら無情な判定が下るのが入試というものでしょう。なら合否判定のプログラムミスだってその1つだと考えちゃったらいいじゃないの。それで「人生って面白いね。」って言いながら大学の中でこっそりプログラムを修正してしまって、そんなミスは心の中にしまっておけばよかったのではと僕的には思うのです。

前も書いたけど入学試験というのは人生のベクトルがいろいろに向き付けられる大きな岐路。その判定が決った時点でもうそれぞれが自分の進むべき道をいろんな決意を持って歩みはじめているのです。今更その決意に水をさして、無理矢理ふりだしに引き戻すような事をやる必要があるのでしょうかね。入試も「知力、体力、時の運」でいいじゃないの。ダメ??
2001年5月27日(日) 貴乃花すごい!!
うーん、久々に男の中の男を見たよ。

今日の大相撲の千秋楽の試合。貴乃花は昨日の試合で膝をいためて、その痛みをおしての出場。その状態で武蔵丸と対等の試合を演じ、見事打ち勝った試合は心から感動してしまいました。もうほとんどの人が貴乃花が勝つ見込みはないと考えていた試合だったからね。勝った後大見栄をきった姿は男でも惚れてしまうわ。怪我をした貴乃花相手にやりにくかっただろうけど、堂々と勝負した武蔵丸も偉い。

どちらにも拍手を送りたいです。
yosuke@juggling-donuts.org
 
 
 

Akiary v.0.42