池田洋介日記帳
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2001年2月1日(木) マクドナルド誤差
朝早くからバイトに行く時は電車に乗る前にマクドナルドで朝のバリューセットをテイクアウトしていくことが多いです。ところでマクドナルドで注文したハンバーガーが棚にないとき
「お時間5分程かかりますがよろしいですか。」
と聞かれます。この「5分」が、場合によっては「2分」だったり「3分」だったりするわけですが、この時間って一体どうやって決めているのだろうとちょっと疑問に思ったりします。なんかマニュアルがあるのか、それとも店員さんがだいたいこんなもんだろうって主観で決めているのか。

とにかく今度このセリフを言われた時、実際に時間を測ってみてください。僕は必ず測っていますが(ちょっと性格が悪いです)、言われた時間以内で来る事はまずないですから。たいてい1分か2分遅くなります。今日も「2分程」って言われたので測っていたら、きっちり「3分」かかりました。

僕はこの時間のずれをマクドナルド誤差と呼んでいます。(ニュートン力学では説明のできない現象です。)特に電車の時間を気にしながらマクドナルドで注文する時はこの誤差に注意しましょう。
2001年2月2日(金) 習性
今日は"無意識のうちにしてしまう行動って本当に恐ろしい"という話です。

毎週金曜日は東大阪の個人塾に通っている日です。その塾はホワイトボードの左上のところに大き目の時計がかけてあるのです。授業は定められた時間の中でやるので、授業中にこの時計を絶えずチェックするのが習性のようになってしまいました。

それは講師たるもの時間を常にチェックし、授業計画を頭の中で立てていなければならないという使命感80%と、早く終わって欲しいなーという気持ち20%がそうさせるのです。生徒もどうやら同じようなことを考えているらしく、この問題早く解かないと!という使命感5%と、早く帰りたいなーという気持ち95%で時計を見ています。そんな複雑な思いが入り乱れながら、全員が3分に1回くらいはホワイトボードの左上の空間に目線を送るという面白い光景が毎回繰り広げられるのです。

それでですね、さすがに毎日毎日みんなに見られてその時計もストレスがたまったのか、今日行ったらその時計が止まっていたわけです。ぴったり5時45分を指してピクリとも動きません。とにかくこの時計は時間を示すという本来の役割を1日に2回しか果たさなくなったわけで、ということはすでにこれは時計でもなくなってしまった単なる物体なわけで、こんな物体をいくら見ても何の役にもたたないわけです。はい、それはよーくわかってるんです。でもね・・・

見てしまうんですよ、これが。


いや、習慣って本当に恐ろしいです。気づけば授業中何度もその物体にちらちら目を送ってしまっているのです。そのたびに"俺は何をしてるんだ、こんな物体を見ても何の意味もないじゃないか。今度時間を知りたくなったらポケットに手を入れて携帯の画面を見ることにしよう、何がなんでも絶対そうしよう!"って心に誓うのですが、その2分後にはまたその物体に目を送っている自分がいるわけです。

怖い、怖すぎる、俺は操られている−。


って思ってふと生徒のほうに目をやると、生徒も1人残らず同じことを繰り返しているのでした。
2001年2月4日(日) 檸檬
今日は河原町通りの丸善に行きました。この本屋さんは家から歩いて5分ほどの距離ですが、ここに行くたびに高校の教科書にあった梶井基次郎の「檸檬」という作品を思い出します。あの作品のエンディングで主人公が爆弾に見立てた檸檬を置いてくるという本屋がまさにここなのです。この作品がどんなストーリーであったかは全く忘れてしまいましたが、このエンディングはかなり鮮明に覚えていて、その舞台がこの本屋なのだと知ったときはちょっと感動したものです。

大きな本屋さんというのは一日中いても全く飽きないですね。当然立ち読みして過ごすわけですが、まさか小説を立ち読みで読破するほど僕は強者ではないので、こういうときに読むのはたいていエッセイや実用書なんかです。最近よくベストセラーになっている「・・・になるための100の方法」とか「好かれる人と嫌われる人の違い」とかいうタイトルの本をパラパラ見ていると結構楽しめたりします。最近流行りの「癒し系」の本も結構好きです。詩集や絵本みたいなやつ。見ているだけで心が和みます。

それはさておき今日ここにいった目的はパントマイム系の洋書の本を何冊か注文しようと思ったからなのです。最近は本当に便利な世の中になったもので、どんな本でも検索用のパソコンに打ち込むだけで探し出せます。本のISBNという番号さえ分かれば、在庫があればどこからでも本を取り寄せる事ができるのです。こんなに簡単に目的の本が探し出せるのはちょっと感動ものでした。さすが21世紀です。

結局お目当ての本は取り寄せに2,3週間かかるということでした。来るのが楽しみです。
2001年2月6日(火) ジョンレノン
今日はかおりJRと一緒に京都みなみ会館という映画館に映画を見に行ってきました。題名は「IMAGIN」。いわずと知れたジョンレノンのドキュメンタリー映画です。

ビートルズは高校生くらいのときから聴き始め、今ではビートルズの公式曲、216曲全てを知ってるくらいこのバンドにはまってしまいました。弾き語りで歌うのも半分くらいはビートルズのナンバーですし。彼らのブームというのはなぜか周期的にやってきますよね。最近ビートルズのベストアルバムや上記の映画でまた緩やかなビートルズブームが起こっていますし、記憶に新しいところでは4、5年ほど前ビートルズが故レノンの録音テープを元に新曲(「Free As a Bird」「Real Love」)を発表した時も「ビートルズアンソロジー」が発売されるなどして話題を集めました。彼らがメジャーで活動したのは1960年代のわずか5年間。そんな30年以上昔のバンドが、21世紀になった今でも新しい世代を巻き込み、多くの人を魅了しつづけているのは考えてみればすごい事です。

彼らの最大の魅力はもちろんその楽曲であり、音楽の歴史にもたらした革命なのですが、それと同じくらい人々を惹きつけるのはやはり彼らという人間にあるのですよ。ジョンレノンという人間、ポールマッカートニーという人間、ジョージハリスンという人間、リンゴスターという人間、そのどれをとっても語るに足る個性であり、カリスマなんです。とくにジョンレノンという人のリアルな生き方、考え方はたった2時間足らずの映画の中におさめてしまうことは到底できないほどの圧倒的な存在感を感じさせます。

解散後、とくにヨーコと出会って後のレノンは理想主義、共産思想に走ったと批難されますが、映画を見ていて思ったのは彼は最後までばか正直だと思えるくらい、自分に素直でありつづけたということです。彼の中にはおそらくなんの思想もなかったのではないですかね。愛や平和なんていう言葉は人間の思惑や商業主義に乗ってしまえば陳腐でうさんくさいものでしかないのですが、彼ならこの言葉をなんの恥ずかしげもなく公然と言ってのけることが許されてしまうのです。だって冷静に見れば「Imagin」の歌詞は明らかなる共産思想ですよね。はっきりと歌詞の中で「Imagin there's no possession(財産なんてないと思ってごらん)」っていっています。でもなぜそんな歌詞が今なお世界中の多くの人の心をとらえて離さないのでしょう。それは思想や主義なんてものを超越して、ジョンレノンの素直な思いが僕たちの心のやわらかい部分に届くからだと思うのです。

ジョンレノンは死ぬ事によって伝説となった、という人がいますがなにを馬鹿な!って思いますね。彼が今も生きていればきっともっともっと多くの伝説を作ってくれたはず。そしてポールとのあのハーモニーを、4人の個性が化学反応を起こして生み出される見事なメロディーを、20世紀の伝説を打ち壊すくらいの強烈な存在感を、是非もう一度見せて欲しかったと悔やまれてならないのです。

思わず熱く語ってしまいました。
2001年2月8日(木) 懺悔
先週の金曜日に高橋さとみさんからドーナツライブのビラとチケットのデザインを預かり、本日無事あきらの手元に渡ったので、これでビラの製作も進む事でしょう。え、、なんで渡すのにそんなに時間がかかっているのかって。ははは。笑ってごまかそうと思ったけど、ちゃんと説明しますね。それには深ーい理由があるのです。先に謝っておきます。関係者のみなさん、特にさとみさん、本当にごめんなさい。

え、話は先週の金曜日にさかのぼります。バイトで三田の関西学院大学にいく用事があったので、そこに行く途中宝塚でさとみさんに会ってきり絵を受け取りました。それが相変わらず素晴らしい出来栄えなんです。本当にこれ全部手作業で切ってるのって思うくらい細かいところまで作りこんであって、お馴染みのさとみキャラが絵の中で楽しげにジャグリングしたり、踊ったりしています。しかも今回はとってもカラフル。本人は「ちょっと作ってみた」みたいな軽い感じで話しているけど、本当はかなり時間と手間をかけて作ってるんだろうな、ってのが作品から伝わってきます。しかもこんなプロの仕事を、我らがドーナツライブのために無償でやってくれたのですからどんなに感謝してもしきれないくらいですよね。

それで帰り際にさとみさんが冗談で一言。
「池田さん、それ無くさないで下さいね。」
うん、確かに前回さとみさんに会った時にお金を忘れて改札からでられなくなったり、同じ日に免許証を落として交番から電話がかかってきたりしたという前科を彼女は知っているのでこれはあながち冗談でもなかったのかも知れませんが。でも僕もまさかこんな大きいものを無くすわけないだろう、あはははは、ってな気持ちでその場を後にしました。

それで・・・

無くしてしまったのですーーーーーーーーー


これに気づいたのはなんと2日後。さあ、さとみさんの絵をパソコンに取り込もうかな、って思った時。かばんの中を見たけど絵が見当たらない。あれ、部屋のどこかに置いたんだっけ・・・あれ、あれ

ない、ない,ない,ないーーー

このときの僕のあわてようといったら、”さあパラシュートを開こう!”と思ったら背中に何も背負ってない事に気づいたスカイダイバーに匹敵するくらいのものでした。とにかく手当たりしだい部屋を探しまくり、”ひょっとしてあの日どこかに忘れてきたのではないだろうか?”という結論に達するまで相当かかりました。そんなわけないだろう、さすがに忘れてきたんならその日のうちに気づくものだろう!って思うでしょ。その人は僕の恐ろしさをまだ理解していないようです。なんせ今までで財布や定期券を落としたり無くしたりした回数は10回を下回らないですから。

いやそんなくだらない自慢話はどうでもよくて、もしあの絵を無くしたなんてことになったら(なってるんだけど)大変です。まずさとみさんには口を聞いてもらえなくなるだろうし、今まで僕が築き上げてきたドーナツ内での地位とみんなの尊敬が音を立てて崩れていく事間違い無しです。これは何としてもみんなにばれる前に見つけださないといけません。とにかくその日の自分の行動を一切合財思い出してみました。運悪くその日はさとみさんと別れてから2つのバイト先を掛け持ちしたので乗った電車の本数7本、その上大学や塾のどこかで置忘れた可能性も考えられるのです。

とにかく片っ端から電話、電話、電話。大学から塾から電車から・・・でもどこに聞いても否定的な返事ばかり。そのたびに見つからなかったときの言い訳とか、どうにかして同じ切り絵を真似して自分で作る事ができないだろうか、とかそんなことが頭をぐるぐると駆け回っておりました。もうあきらめかけた時、そういえばその日大学までいくのにバスに乗ったことを思い出しました。確かその時居眠りをしていて目的地を乗り過ごしかけて、あわててバスを降りた記憶があります。うん、そうだ、この時に違いない!

祈るような気持ちで電話して電話口から
「切り絵ですか、あ、それらしいものがあるんですけどね。」
って言われた時はもう”今度1万円札が両替できなかった時は、そのお金で回数券50枚買ってあげてもいい!”って思うくらいバスに感謝しました。

というわけでこの1、2日は生きた心地がしないくらい大慌てだったのですが、まあこれで無事僕の面目も保たれ万事解決というわけでした。このことは僕の心の中だけにそっとしまっておこうとも思ったのですが、まあ解決してしまえば1つのネタでもあるので自分への戒めも込めてここに書いてみた次第です。

え、反省してないだろうって。とんでもないです。みなさん怒らないでね。
2001年2月9日(金) 天一
真夜中に無性にお腹がすいてくる事ってありません?例えばパソコンの前で一日中作業をしてたりして気付いたらその日一日何も食べてなかった、なんてことは僕はしょっちゅうあります。真夜中だから定食屋さんなどはどこも開いていないのですが、家からちょっと歩いたところに関西では超有名なラーメン屋「天下一品」略して天一があります。

もし知らない人がいるといけないので補足しておきますが、「天下一品」っていうのはとにかくこれでもかってくらい濃厚なスープを売りにしているラーメンチェーン店なのですね。僕の家の近くのは座席が10人分にも満たない小さな店で、おじさんが1人で切り盛りしています。向かいが「八千代館」というオールナイトのポルノ映画館でその客目当て(だと思うのですが)で、結構夜遅くまで営業しているのです。

で、そのお腹がすいた真夜中に食べる天下一品のラーメンというのが至福の味なのです。とくに寒い季節はなおさら。そのこってりとしたスープを一口すすると体中にもわーんっと幸せが広がり、束になってくっついてくるのを箸でほぐしながら食べる麺の味も最高なのです。これを食べてる時が「うおー俺は生きている!!」って実感しますねえ。

だからこれが僕の思う世界で一番おいしいもの(の1つ)。
2001年2月11日(日) 沈黙が語る言葉
もし世界共通の言葉がたった1つあるとすればそれは沈黙かもしれない。

どっかで聞いた言葉です。

会話が急に途絶えて、訪れる沈黙。
この沈黙が僕はたまらなく好きだったりするのです。

その場をとりつくろう言葉なら幾千でもあるのに
本当に言いたい気持ちは1万個の中のたった1つの言葉で
その1個の言葉を必死になって捜している
そんな思いが伝わってくるからです。

次に自分が言うべき言葉が本当にその沈黙に値するかどうか
じっくり考える時間を与えてくれるからです。

いろんな気持ちがどっとあふれてきた時
言葉はきっと心を越えないものだから
いっそ何も言わずにいてくれたほうがいいのです。

なーんてね。

今日は高校時代の友人の結婚式でした。前も書いたように僕はあまり式というものは好きではないのですが、余興を頼まれる事が多く、この年にしてはかなり多くの結婚式を見てきました。結婚式の中ではいろいろな言葉が飛び交います。おめでたい言葉、おごぞかな言葉、祝福の言葉、励ましの言葉。でも司会者が流暢にしゃべるどんな美辞麗句よりも、父親が挨拶の中でつい言葉に詰まってしまうその一瞬の沈黙に僕は感動してしまうんですよね。そういう中にこそ本当の心が宿っているような気がするのです。

今日の結婚式はそんな心がいろんなところで感じられてとてもよかったです。結婚式もいいものだなってちょっと思ったりしました。
2001年2月13日(火) バレンタインデー
僕はチョコレートが大好きです。
いや別にくれって言っているわけではないので誤解なきよう。

チョコレートに限らず僕は男の割にはかなり甘い物好きで、コンビニで弁当を買ったら必ずデザートにケーキやプリンを買ってくる程です。でも僕はとりわけチョコレートは好きなので、ケーキを買う時は必ずチョコレートケーキ、パンを買う時は必ずチョコパン。未だにイチゴポッキーを買う人の気持ちは理解できません。

だからこの時期は僕にとってはちょっと辛い季節なのです。なぜなら街のデパートやコンビニにはおいしそうなチョコレートが山のように積まれているのに、まさかそれを自分で買いに行くわけにもいかないしねえ。うーん困った。

いや別にくれって言っているわけではないので誤解なきよう。
2001年2月16日(金) 国語能力
今週はほとんどバイトをしていたので、練習も日記の更新もできてませんでした。でもようやく早起きの生活からも解放されてほっと一息。(ここずっと朝の7時起き・・・)

いつもは大学生相手に数学を教えるのですが、今日はなんと国語の講義をしてきました。はは、僕が国語を教えるんですよ。笑ってしまうでしょ。国語といってもSPI試験対策用の漢字とか、四字熟語とか、故事成語とかなんですが、これが結構難しいのです。

問題の中に「人の噂も(  )日」というのがあって、思いっきり考えこんでしまいました。あれ49日だっけ?79日だっけ?とか思ったりして(ちなみに全然違います)。こんな人が国語を教えていいのかとも思いますが、何を隠そう、僕はさっき覚えたばかりの事をさも昔から知っていることのように偉そうに人に説明するのは大の得意なのです。だから多分僕の授業を聞いた人は、僕の事を数学だけでなく国語にも堪能な優秀な教師だと思っていることでしょう。ははは。(まさかこの日記を読むことはなかろうな・・・)

じゃあみなさんのために以下の問題を

間違っている部分を指摘してください。
・彼女はいつも愛想をふりまいている。
・彼にはいつも足元をすくわれる。
・最終回、彼は汚名挽回のホームランをはなった。
・あまりの屈辱に、怒り心頭に達した。

ちなみに僕は1つしか分かりませんでした。
2001年2月17日(土) 解答
前回書いた問題の答えはなんだって言われたので解答を。

まず人の噂は75日です。これは言われればあーそうだなって感じ。

続いて文章の訂正問題。
1.愛想はよかったり、悪かったり、無かったりするものですが振りまくものはありません。正しくは「愛嬌をふりまく」となります。
2.「足元をすくわれる」ではなく正しくは「足をすくわれる」です。「足元を見られる」という表現と混同してます。(でも僕としてはこっちの方が感じがでてていい気がするんだけど)
3.汚名を挽回してしまってはよけい状況が悪くなります。正しくは「汚名返上」または「名誉挽回」です。でもニュースキャスターでも汚名挽回という言葉を使っているのはよく聞きますね。
4.「怒り心頭に発する」というのが正しい表現です。「怒りが頂点に達する」というような表現との混同です。

分かりましたか?

2001年2月18日(日) 思い込み
いやはや、教本の誤字(っていうか単なる打ち間違いもあるけど)をいろいろ掲示板で指摘されてしまいました。そんなこと言ったら僕の過去の日記でもたくさんあるんだろうな。(いや掲示板には書かなくていいですよ。)

文章の誤字、とりわけひらがなの書き間違いなんて書いている本人はどんなに読み直しても気付かないものなんですよ。しばらく前の掲示板ににCausal DiagramをCasual Diagramと読み間違っていたっていう話もありましたけど、何を隠そう僕も長い間そうだったのです。いったん人間が思い込むとそれを修整するのは本当に難しいです。(いわゆる水路づけってやつ)

例えば漢字の読み間違いなんかは結構あるもので、僕は小学生の頃から「雰囲気」という漢字をずっと「フインキ」と読むものだとばかり思っていたのです。それで高校生くらいにワープロを使ったときに、何度「フインキ」と打っても漢字が変換されてくれないので"なんて馬鹿なワープロだろう"と思っていたものです。まさか自分の漢字の読みがこの十何年間ずっと間違っていたなんて考えもしませんでした。もちろん正しくは「フンイキ」。(でもみんな言葉にする時は絶対「フインキ」って言ってるよね。)

他にも「筑紫哲也」をずっと「つくしてつや」だと思ってたり。(これは結構最近まで)

まあ、なにはともあれ人が読んで心地よい文章を書きたいなら誤字はできるだけ少なくするように心がけなければね。
2001年2月21日(水) 災難は続けてやってくる
いや本当に久しぶりの日記です(僕にしてはね)。

さてさてこの間の月曜日、中京体育館に行こうとしてマンションの自転車置き場に行ったのですが、どこを見渡しても自転車が見つかりません。念の為、2度3度往復しましたがそれらしいものが見つからないのです。

真っ先に頭に浮かんだのはコンビニに置き忘れた可能性です。これは僕は結構やってしまうのですが、家の近くにコンビニがあるのでついそこまで自転車で来たことを忘れて歩いて家に帰ってきてしまうのです。すぐにコンビニを見に行ったんだけれどもそこにも自転車の姿はありませんでした。

次に頭に浮かんだのはマンションが撤去してしまったという可能性。実はこの自転車、今年に入って新しく買い換えたばかりでまだマンションのステッカーを貼っていなかったのです。だから不法駐輪とみなされてマンション側に撤去されてしまった可能性は大いにありえます。しかし次の日に管理者に電話して聞いてみたところその日に撤去は行なっていないとのこと。

ってことは残された可能性は最悪のもの。そう盗まれてしまったのです。さっそく警察に盗難届を出しましたが、経験上警察が見つけてくれる可能性はとっても低いのです(せいぜい2、3年後に撤去された自転車の中で見つかるくらい)。かくして僕の自転車の所有最短記録(約2ヶ月)が誕生してしまったわけです。

いや、でもこれは僕にはなんの責任も無いわけですから。くれぐれも僕の管理能力の問題ではないですよ。僕は被害者です。間違っているのは世の中です。社会です。政治です。しいては国家権力です。

それで表題のとおり災難はこれだけでは終わりませんでした。ちょうど同じ日に「Hero」を録画しようとしたらビデオが壊れてしまいました。何度ビデオを挿入してもすぐに吐き出されてしまうのです。ちなみにこのビデオもまだ買って半年くらいで、保証期間内。まったくこんな不良品を売りやがって!とちょっと怒ってナショナルに電話して、すぐに修理に来てもらいました。

ナショナルの修理員に「何度ビデオを入れても飛び出してくる!」と事情を説明。修理員も保証期間内の故障という事でちょっと遠慮がちな態度です。「じゃあ、ちょっと試してみますね。」と持ってきたビデオカセットをデッキの中に入れました。その時・・・

ウィーン、ガチャガチャガチャ、ブーン


「あの、再生できてるんですけど・・・」(修理員)


ビデオに殺意を覚えた初めての瞬間でした。

これ以上の災難が続かない事を祈ります。

2001年2月22日(木) 東海地方
もうすぐ名古屋に行くので本屋で名古屋近辺の地図を立ち読みしていました。それで名古屋を含む地域の事を"東海地方"ということを知りました。ずっと"中部地方"だと思ってた。(え、じゃあ中部地方はどこだ?)

日本の地理なんて中学校以来勉強してなかったからね。

でもこれから行く場所の地図を見るのって結構わくわくするものです。
いや、今日はこれだけです。


2001年2月26日(月) 時計
名古屋市の名城線矢場町という駅の地下でとっても面白い時計を発見して嬉しくなりました。

とても巧妙な水時計で、フラスコのような筒がたくさんのパイプでつながっています。フラスコの大きさはだんだん大きくなっていて、水は小さいフラスコから定期的(おそらく1秒おき)に流れ込んできます。小さいフラスコは2回水を入れるといっぱいになり、いっぱいになるとその水はすべて次のフラスコに移動します。さらに2番目のフラスコが2回でいっぱいになると次のフラスコに水が移ります。そして最終的に一番大きなフラスコがいっぱいになるとそれが分を表すシリンダーに移され、1分が経過するというわけです。

少し専門的に言えば、サイフォンの原理と2進法の仕組みをうまく使った装置なのです。しかしそんな理屈は抜きでもこういう時計は見ているだけで楽しめます。よくデパートなんかでボールが針金でできたレールの上を転がっていくようなオブジェがあるでしょ。僕はああいうのを見つけるとそのすべてのバリエーションを見尽すまで、暇なら1時間でもそれを眺めていることがあります。本当に面白いですよね。こういう仕掛けを考えるのはある意味ジャグリングの新しいパターンを考案する事と共通点があるような気がします。

それでその時計の最もスペクタクルな瞬間というのは12時ちょうど。なんたって、その瞬間すべてのシリンダーが満タンになり、次の瞬間すべてのシリンダーが一気に空になるという貴重な光景が見れるのですから。思わずそれをみるためにしばらく待ってしまいました。予想通りのことが目の前で起こった時はちょっと感動。でも周りを見渡すと忙しそうなサラリーマンがこんな時計の事なんて見向きもせずに通り過ぎていきます。

ほーら、みなさん、幸せなんてのはこんな日常の光景の中の小さな驚きを見つけて、ほんの少し足を止めることができるかなんですよ。ってちょっぴり優越感を感じた正午でした。
2001年2月28日(水) 名古屋という街
名古屋で久しぶりにゆっくりと遊んできました。

結局丸3日くらいいたことになるんだけど、同じ所をいったりきたりしていたので、栄とか市役所の周りはかなり詳しくなりました。

僕が観察した名古屋の特徴

その1 信号が少ない


京都や大阪なら当然信号がついているような交差点でも、信号がついていないことが結構多いのです。しかもそういう交差点では車も歩行者を見たら必ず止まってくれます。歩行者を無視してどんどん車が通っていき、なんとかその間隙をぬって道路を渡ろうと歩行者が目を血走らせている大阪の交通に慣れきった僕はちょっとビックリしました。僕を見て車が止まってくれた時、それが「僕に道を譲ってくれているのだ!」ということを理解するのにしばらく時間がかかったくらいです。本当に。

その2 公園と噴水が(やたら)多い


街のいたるところにかなり大規模な公園があり、公園にはもう必ずといっていいほど噴水があります。ジャグリングの練習にはちょうどいいな、ってちょっとうらやましく思いました。あ、それと噴水とともに多いのは変なオブジェ。あの名古屋駅前の謎の「くるくる三角柱」に始まり、名古屋市には本当に変なものが多いです。

その3 美宝堂のことを言う時はみんな「あの美宝堂」という


美宝堂という貴金属店があるのですが、この建物はどうやら名古屋市民で知らない人はないらしく、「美宝堂」と聞くとみんな謎の半笑いを浮かべながら「あの美宝堂ね」と言います(これはもう十中八九)。聞くところによるとこの建物はテレビコマーシャルがけっこう強烈らしいです(一度見てみたい・・・)。関西で言えば「カメラのなにわ」とか「機動調査の目川探偵」くらいの知名度ですね。確かにリボンがついたプレゼントのような外装や、壁一面が金箔の内装はなんじゃこれはと思いましたが。

今回名古屋にいったきっかけはこの「美宝堂」で小さなマジックライブがあり、その中でジャグリングをして欲しいという依頼を受けたからです。小規模でアットホームなイベントで、出演料も当日の稼ぎを頭割りするような感じです。

この依頼はジャグリングのパフォーマー経由で僕が個人的に受けたものだったのですが、ちょっとビックリしたのはこのイベントの企画、運営をしている小林さんという方と面識があったということ。それもどこかのイベントで会ったのではなく、たまたま共通の知り合いである僕の先輩の結婚式で、2人とも余興として芸をしていたのです。小さな偶然のめぐり合わせに感動。しかもマジックを演じるのは知る人ぞ知るプロマジシャン、真田さん。「怒ってませんか?」が口癖のとっても楽しいおじさんです。(こう見えてもFISMのマニピュレーション部門で入賞した事もあるすごい人なのです。水野さんやマイケルモーションとも面識があるとか。)真田さんも実は5年程前にとあるコンベンションで会った事があり、まさかこんなところで競演する事ができようとは夢にも思っていませんでした。

お客さんは40名くらいだったのですが(それでも部屋はいっぱいになりました)、盛り上がりもよく、気持ちよく演技ができました。久々にマジックを生で見れたのも良かったです。

それにしても僕がいるのはとっても狭い世界です。
yosuke@juggling-donuts.org
 
 
 

Akiary v.0.42